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国内テニス

大坂なおみが日本国籍の申請へ!彼女の生い立ちや現在までの道のりを、両親のコメントを基に振り返る

内田暁

2019.10.11

2015年のWTAライジングスター招待試合で優勝した大坂。彼女にとって大きなブレークスルーとなった。(C)Getty Images

2015年のWTAライジングスター招待試合で優勝した大坂。彼女にとって大きなブレークスルーとなった。(C)Getty Images

 子どもの頃から常に自分より年長者たちと戦い、ジュニア大会も意図的にスキップしてきた彼女にとり、優勝トロフィーの輝きは、未来を照らす光となった。さらに大きかったのは、女子テニスの頂点を決するその舞台で、トップ選手たちの緊張感や、煌びやかに彩られた雰囲気をも肌身で感じられたこと。

「私もいつか、こういう場所で戦いたい!」。それまで漠然と抱いていた「世界1位、そして可能な限り多くのグランドスラムで優勝する」という夢は、具体的な輪郭を伴ないイメージできるようになり始めた。

 また、新たな刺激を得たそのタイミングで、18歳の誕生日を迎えたことも大きかった。18歳はWTAの出場大会数の制約が解除される年齢。「次はどの大会に出るべきか、出られる大会はいくつ残っているのか?」、これまで煩わされてきたそれらの悩みからも、1016日の誕生日を機に解き放たれる。経験、モチベーション、数字上の規制からの解放……。偶然か必然か、それら全てがこの時に重なり、新たなステージへの扉を彼女の眼前に開いていた。
18歳――疾走の始まり

 2016年から快進撃が始まる。全豪オープンで予選を突破しGS本戦初出場を果たす。3回戦ではアザレンカに敗れるが、世界にその名を印象付けた。ツアー大会でもシード選手を撃破し、「まだ1年はかかるかと思っていた」という100位以内へとジャンプアップ。

 続く全仏オープンの3回戦では、第6シードのハレップを立ち上がりから圧倒し、第1セットを奪う展開。最後は経験の差から突き放されたものの、2年前の全仏準優勝者をして「彼女は信じられないプレーをした」と言わしめた。

「生意気みたいに聞こえちゃうのは、嫌なんだけれど……」。ハレップ戦後の会見で、大坂はそう前置きをしつつも、迷いのない口調で続ける。「世界のトップ10プレーヤーとも戦えると感じていた。足りないのは、経験と戦略。パワーやストロークは、十分に渡り合えると思った」

 ツアーの転戦に高まる周囲からの注視――。それら全てに急速に対応している大坂は、日本文化に対しても、高い適応力を示している。全仏では、自ら「やるわ!」と宣言し、日本語の会見にも挑戦した。母親が「欧米と日本のどちらでもなじみがあるから」との理由でつけた「なおみ」の名を体現するかのように、彼女は豊かな国際色をユニークな個性へと昇華しつつ、夢への階段を駆け上がっている最中だ。

文●内田暁

※『スマッシュ』2018年10月号/2018USオープン優勝記念号より転載

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