かつて“五冠馬”の末脚を評して「シンザンはナタの切れ味。ただし髭も剃れるナタである」とした調教師、武田文吾の言葉がよく知られるように、競走馬の切れ味を刃物にたとえるケースは少なくない。その伝で言えば、2000年代前期のマイル・スプリント路線で目を見張る追い込みで大活躍したデュランダルの末脚はさしずめ「聖剣の切れ味」ということになろうか。なぜならデュランダルとは、フランスの叙事詩『ロランの歌』の主役であるロランが王から授けられた“強き長久の聖剣”から名を取られた馬名だからである。
デュランダルは、父に日本競馬の種牡馬史を塗り替えたスーパーサイアーのサンデーサイレンスを、母に社台グループ中興の祖であるノーザンテースト産駒のサワヤカプリンセスを持ち、1999年5月25日に社台ファームで生を受けた。預託先はマヤノトップガンやキングヘイローを育てたことで知られる、栗東トレーニング・センターの坂口正大厩舎。社台グループゆかりの種牡馬2頭の血を引く栗毛の牡馬は牧場での馴致・育成を経てトレーニング・センターへと入厩。一世を風靡しつつあった期待のサンデーサイレンス産駒として注目を集めるなか、2歳の2001年12月にデビュー戦を迎える。
鞍上に武豊を招いた新馬戦(阪神・芝1200m)は単勝1.5倍という圧倒的支持に応え、直線5番手から弾けるように伸びて、2着に1馬身半差を付けて快勝。“短距離に新星現る”の評判を得た。しかしその後、脚部に骨瘤(向う脛の位置にある管骨の表面にできるこぶ状の隆起)が出て、長期の休養を余儀なくされた。
復帰を果たしたのは約8か月後、3歳となった2002年8月のことだった。そこでは追い込み切れず2着に敗れたが、次走から3連勝を記録してあっという間にオープン入り。後方から切れ鋭く追い込むレースぶりもすっかり板に付いて、将来が嘱望される存在になった。
ただし重賞初出走であり、同時にGⅠ初挑戦となったマイルチャンピオンシップは追い込み切れずに10着に敗れ、続くディセンバーステークス(OP)は中団を進んだものの伸びあぐねて4着に敗退。それでも年をまたいで臨んだニューイヤーステークス(OP)では10番手から一気に突き抜けて快勝。オープンクラスでの初勝利を挙げた。
次走、自身の競走生活で最長距離となる芝1800mの中山記念(GⅡ)を9着に敗れるが、以後、引退まで手綱をとり続けることになる池添謙一を鞍上に迎えたセントウルステークス(GⅢ)で3着に好走。いよいよ2度目のGⅠ挑戦となるスプリンターズステークスへと歩を進める。
デュランダルは、父に日本競馬の種牡馬史を塗り替えたスーパーサイアーのサンデーサイレンスを、母に社台グループ中興の祖であるノーザンテースト産駒のサワヤカプリンセスを持ち、1999年5月25日に社台ファームで生を受けた。預託先はマヤノトップガンやキングヘイローを育てたことで知られる、栗東トレーニング・センターの坂口正大厩舎。社台グループゆかりの種牡馬2頭の血を引く栗毛の牡馬は牧場での馴致・育成を経てトレーニング・センターへと入厩。一世を風靡しつつあった期待のサンデーサイレンス産駒として注目を集めるなか、2歳の2001年12月にデビュー戦を迎える。
鞍上に武豊を招いた新馬戦(阪神・芝1200m)は単勝1.5倍という圧倒的支持に応え、直線5番手から弾けるように伸びて、2着に1馬身半差を付けて快勝。“短距離に新星現る”の評判を得た。しかしその後、脚部に骨瘤(向う脛の位置にある管骨の表面にできるこぶ状の隆起)が出て、長期の休養を余儀なくされた。
復帰を果たしたのは約8か月後、3歳となった2002年8月のことだった。そこでは追い込み切れず2着に敗れたが、次走から3連勝を記録してあっという間にオープン入り。後方から切れ鋭く追い込むレースぶりもすっかり板に付いて、将来が嘱望される存在になった。
ただし重賞初出走であり、同時にGⅠ初挑戦となったマイルチャンピオンシップは追い込み切れずに10着に敗れ、続くディセンバーステークス(OP)は中団を進んだものの伸びあぐねて4着に敗退。それでも年をまたいで臨んだニューイヤーステークス(OP)では10番手から一気に突き抜けて快勝。オープンクラスでの初勝利を挙げた。
次走、自身の競走生活で最長距離となる芝1800mの中山記念(GⅡ)を9着に敗れるが、以後、引退まで手綱をとり続けることになる池添謙一を鞍上に迎えたセントウルステークス(GⅢ)で3着に好走。いよいよ2度目のGⅠ挑戦となるスプリンターズステークスへと歩を進める。




