――ラグビーを始めたのは、上宮中学校からだそうですが、それまではどのようなスポーツに取り組んでいたのですか?
小学生の頃は2年生から6年生まで空手をやっていました。中学校には空手部がなくて、別のスポーツをやりたいと思っていましたが、野球やバスケットボールなどは経験者がほとんど。ラグビーなら中学からでも始められそうだなと思っていたとき、学校でやったスポーツテストの成績を見た担任の先生から「ラグビー部に入ってほしい」と言われました。先生がラグビー部の顧問だったこともあって、それがラグビーを始めるきっかけになりましたね。
――それまではラグビーには無縁だった?
おじいちゃんがラグビーをやっていたので、物心つく前に何回か花園の高校ラグビーに連れていかれました。でも、多少記憶にあるくらいで、印象には残っていなかった。自分がやるとも思っていませんでした。
——実際に始めてからはどうでしたか?
ルールは難しかったですが、やることは極めてシンプルでボールを持って前に進むだけ。当時、それほど体は大きくありませんでしたが、ボールを持って走るのが楽しかった。そこに一番の魅力を感じました。
——どのポジションからスタートしたんですか?
最初はバックロー(8番)ですね。上宮高校に行ってからはたまにセンター(12・13番)をやることもありました。通っていた中学・高校は全国レベルのチームではなかったので、高校時代は大阪桐蔭や東海大仰星といった強豪校にボコボコにされていました。そこで「12・13番のところに突破力がある選手がほしい」という監督の方針があり、センターのポジションも何試合か経験しましたが、基本的に本職はフォワード(FW=8番より前)でしたね。
——当時はどんな取り組みをされていましたか?
正直、強豪校の壁は大きいと感じていたので、それなら個の力を磨きながら、ラグビーを純粋に楽しんでプレーする時間にしようと考えていました。
――その努力が報われて、U-17近畿選抜に選ばれています。
強豪校の有名選手と一緒にプレーできることになって、自分も結構、通用するんだとわかりましたし、その中で足りない部分がどこかも認識できた。そこは大きかったです。個の力を磨くことにフォーカスしていたからこそ、そういうチャンスも転がってきた。その経験や運、つながりもあって、関西学院大学のセレクションに参加することもできて、大学への道がつながったと思います。
――関西は大学ラグビーもレベルが非常に高く、同志社や立命館、関西大学など伝統校も揃っています。
そうですね。自分も関学に入れて、レベルの高い仲間とラグビーをできることになりました。最初は高校時代から第一線でやってきた選手の中に混ざって練習することに不安もありましたけど、「今に見とけよ」という反骨心も芽生えた。ポジションもバックロー(8番)で勝負することになりました。
僕はボールを持って走るのが強みで、タックル含めてディフェンスも好きだった。課題だったのはパスやキャッチなどスキルの部分でした。そこを改善するために、自分のプレー動画を毎日見て練習を繰り返した。それは今でも続けているんですけど、自分の進むべき方向性が明確になったと思います。
――2年の時には関西大学リーグでの優勝を経験されました。
その年は試合にはちょくちょく出る程度でした。それでも少しは優勝に関与できたことが嬉しかったですね。だけど、次の3年のシーズンは最下位に沈んだ。自分がずっとスタメンで出ていたのに不甲斐ない結果で、優勝から最下位という異例な展開になってしまった。その責任を真摯に受け止めました。
――最終学年の4年時はゲームキャプテンも務められました。
はい。チームキャプテンが怪我で長期離脱した時に代役のキャプテンを務めたという状況でした。僕は喋って人の心を動かすタイプではないので、ひたむきに体を張り続ける姿を見せていこうと思っていました。ただ、最終的な結果は下から2番目。自分が試合に出させてもらった3年、4年時は厳しい状況もありましたが、関学での4年間は大きな財産になっています。