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モータースポーツ

「1年後、一緒に1番高い表彰台に…」パラ陸上・中西麻耶が綴った、亡きレーサー加藤大治郎への思い

甘利隆

2020.04.23

亡きレーサー、加藤大治郎へのメッセージを綴ったパラ陸上・走り幅跳びの中西摩耶。(C)Getty Images

亡きレーサー、加藤大治郎へのメッセージを綴ったパラ陸上・走り幅跳びの中西摩耶。(C)Getty Images

 あれから17年…。2003年のMotoGP開幕戦、日本GPでのアクシデントが原因で加藤大治郎が永眠してから瞬く間に時は過ぎた。

 しかし、生前の活躍に敬意を表され、イタリアに“Viale Daijiro Kato(加藤大治郎通り)”と名付けられた道を持つなど、世界中で愛された小柄な日本人ライダーの勇姿は、今なお人々の記憶の中で生き続けている。

 そんな思い出を持つ者の1人にパラ陸上・走り幅跳びの中西麻耶がいる。

 中西は以前から故加藤大治郎のファンであることを公言しており、リオパラリンピックでは、加藤の代名詞ともいえる“74(7月4日生まれであることに由来)”を入れたデザインを競技用義足に施し、4位に入賞した。

「大ちゃん元気にしてますか? 今でもずっと大ちゃんの意思は色んな人に引き継がれていますよ。テッシーも細田さんも元気にしてますよ♬ あと1年後、一緒に1番高い表彰台に登れますね。その日まで私は未来を諦めません」と綴り、命日である4月20日、中西は自身のSNSに投稿した。

 競技風景の他、“74”の入った義足を並べてポーズを取る数年前の写真、加藤の父、隆氏が中心となって「子どもたちのためにオリジナルのバイクを作りたい」という愛息の夢を実現するために開発された“74 Daijiro”にまたがる様子、文中にも登場する“テッシー”こと元レーシングライダーで現在は日本郵便 Honda Dream TPの監督を務める手島雄介氏、H-DESIGNクリエイティブワークス代表の細田丘氏と一緒に映っている写真も併せてアップされた。
 
 加藤は、3歳の誕生日に両親からポケットバイクを贈られ、5歳でレース参戦を始め、全日本GP250王者に輝いた後、2000年より世界ロードレース選手権にグレシーニ・レーシングからフル参戦。2001年には250ccクラスの年間最多勝記録となる11勝を挙げ、チャンピオンを獲得した。2002年にMotoGPクラス(当時は4サイクル、2サイクル混走)へとステップアップしてルーキー・オブ・ザ・イヤーに輝く。2003年は開幕から4サイクルエンジンのRC211Vを与えられ、若き日のヴァレンティーノ・ロッシも「最も手強いライバル」と存在を強く意識していた。

 ファンからのコメントに「大ちゃんはピンチな時にいつも側に居てくれますね!」と答えた中西。これまで何度も苦境を乗り越えてきた気持ちの強さで、1年後、昨年のドバイでの世界選手権と同様、“大ちゃん”と一緒に東京で表彰台の頂点に立ってくれるに違いない。

文●甘利隆
著者プロフィール/東京造形大学デザイン科卒業。都内デザイン事務所、『サイクルサウンズ』編集部、広告代理店等を経てフリーランス。Twitter:ama_super

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