昨年は5人しかいなかった黄金世代のシード選手が、今季は11人と倍増している。すでに全シード選手の20パーセント以上を占めたことになるが、まだまだ増える可能性がありそうだ。昨年の最終予選会で17位に入り、今季の出場権を得ている田中瑞希も有力候補の1人だろう。
熊本出身の田中だが、九州地区では小学生のときから同世代をリードする存在だった。小6で出場した九州小学生ゴルフ大会ではただ1人アンダーパーとなる2アンダーをマークして優勝。中2で出た九州ジュニアも2位以下に7打差をつける2アンダーで制している。中学卒業後は、新興勢力ながら全国大会で上位に入っていた地元の熊本国府高校に進学。田中は大里桃子らとともに1年生からレギュラーとして活躍し、いきなり団体戦で全国優勝を果たす。2年のときは渋野日向子を擁する岡山の作陽高校に敗れて2位に終わったが、3年のときには日本一に返り咲いて見せた。個人戦でも高1、高2で九州女子アマを連覇するなどかなりの戦績を残している。ただ、同世代にはそれ以上に活躍する選手が多く、全国的な注目度は低かった。
高校を卒業した17年と翌18年にプロテストに挑戦したが失敗。昨年、3度目の正直でついに合格を果たした。プロテストの前週までツアーに出場するハードスケジュールを組んでいたが、「いい意味での緊張感を維持したまま本番に臨みたかったので欠場しませんでした」と理由を語る。実際、過去2回の失敗は過度に緊張しすぎたことが要因だった。プロテストとはいえ、あくまでもツアーの中の1試合と考えることで、平常心で臨むことができると考えたわけだ。
ところが、初日にいきなり75を叩き、70位タイと出遅れる。なんとか2日目以降、毎日1打ずつ縮めて17位にまで順位を上げることに成功したが、この粘りも、プロテストの前まで32試合に出場した経験があったからだろう。
田中にとって昨年は苦しいシーズンながらも、ツアープロとして色々なことを学んだ1年だった。開幕からいきなり7試合連続で予選落ちすると、リランキングの少し前にも4試合連続予選落ちを喫する。後がない状態で迎えたニチレイレディスでは初日に79を叩いて100位タイと出遅れ、まさに崖っぷちに立たされたが、2日目にトーナメントコースレコードの63をマークして一気に息を吹き返す。「63は自己ベストだし、22パットも自己最少です。ラインをイメージしながら、リズムよくストロークしたのがよかったと思います」と笑顔を見せた。
熊本出身の田中だが、九州地区では小学生のときから同世代をリードする存在だった。小6で出場した九州小学生ゴルフ大会ではただ1人アンダーパーとなる2アンダーをマークして優勝。中2で出た九州ジュニアも2位以下に7打差をつける2アンダーで制している。中学卒業後は、新興勢力ながら全国大会で上位に入っていた地元の熊本国府高校に進学。田中は大里桃子らとともに1年生からレギュラーとして活躍し、いきなり団体戦で全国優勝を果たす。2年のときは渋野日向子を擁する岡山の作陽高校に敗れて2位に終わったが、3年のときには日本一に返り咲いて見せた。個人戦でも高1、高2で九州女子アマを連覇するなどかなりの戦績を残している。ただ、同世代にはそれ以上に活躍する選手が多く、全国的な注目度は低かった。
高校を卒業した17年と翌18年にプロテストに挑戦したが失敗。昨年、3度目の正直でついに合格を果たした。プロテストの前週までツアーに出場するハードスケジュールを組んでいたが、「いい意味での緊張感を維持したまま本番に臨みたかったので欠場しませんでした」と理由を語る。実際、過去2回の失敗は過度に緊張しすぎたことが要因だった。プロテストとはいえ、あくまでもツアーの中の1試合と考えることで、平常心で臨むことができると考えたわけだ。
ところが、初日にいきなり75を叩き、70位タイと出遅れる。なんとか2日目以降、毎日1打ずつ縮めて17位にまで順位を上げることに成功したが、この粘りも、プロテストの前まで32試合に出場した経験があったからだろう。
田中にとって昨年は苦しいシーズンながらも、ツアープロとして色々なことを学んだ1年だった。開幕からいきなり7試合連続で予選落ちすると、リランキングの少し前にも4試合連続予選落ちを喫する。後がない状態で迎えたニチレイレディスでは初日に79を叩いて100位タイと出遅れ、まさに崖っぷちに立たされたが、2日目にトーナメントコースレコードの63をマークして一気に息を吹き返す。「63は自己ベストだし、22パットも自己最少です。ラインをイメージしながら、リズムよくストロークしたのがよかったと思います」と笑顔を見せた。