モータースポーツ

「僕は勝てたのに…」悔しさをぶつけた若き日のセナ。84年モナコGPから始まった伝説を巡る【名ドライバー列伝/前編】

甘利隆

2021.05.01

数々の偉業を残したセナは84年にF1デビュー。6戦目で初の表彰台に立つも、その表情に満足の色はなかった。(C)Getty Images

 モータースポーツファンにとって5月1日は特別な日だ。アイルトン・セナがイモラで天に召された、1994年のあの日から27年の時が過ぎた。

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 くしくも、同じ地で開催された今年のエミリア・ロマーニャGPでは、栄光を分かち合ったホンダのパワーユニットで走るマックス・フェルスタッペン(レッドブル・ホンダ)が優勝。ホンダのイモラでの勝利は、マクラーレンのセナが91年に挙げて以来の出来事だった。

 60年3月21日、ブラジル・サンパウロで生を受けたセナは、レーシングカートで活躍後、81年に渡英。一旦は帰国するが、83年にはイングランド期待の星、マーティン・ブランドルを下してイギリスF3選手権を制覇。全20戦中12勝は当時の最多記録だった。

 その実績を掲げ、84年に中堅チームのトールマン・ハートからF1デビュー。早くも第2戦の南アフリカGPで6位に入賞した。この年、新人ながら3度の表彰台に立つが、やはりハイライトは大雨の中で行なわれた第6戦のモナコGPだろう。
 
 13番手からスタートしたセナは、歴戦のドライバーが濡れた路面に足をすくわれるのを横目に、ファステストラップを刻みながらアラン・プロスト(当時マクラーレン・TAGポルシェ)を猛追した。

 首位を走るプロストのアピールもあり、32周目の終わりにレース終了を告げる赤旗が振られたが、直後にセナはスピードを緩めたマクラーレンをオーバーテイク。レッドブラッグ前の順位が結果に反映される規定のため、優勝こそ逃すも、後に代名詞のひとつとなる"雨のセナ"を強く印象付けた。

 多くの関係者は黄色いヘルメットを被るルーキーの走りに驚嘆したが、さらに驚かされたのは、初めての2位表彰台なのに嬉しい素振りを全く見せず、「僕は勝てたのに……」と悔しがる様子だったという。

 後年、"Being second is to be the first of the ones who lose.(2位になるということは、つまり敗者の中で1位ということだ)"と自身のレース哲学を語ったが、その心境だったに違いない。

 レースの75%を消化していなかったことから通常の半分しかポイントが与えられず、4.5点のみに終わったプロストは、結果的にチームメイトのニキ・ラウダに0.5ポイント差でタイトルを譲ることになるが、"宿敵セナ"とのストーリーは、この時から始まった。
 
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85年以降は次々と優勝を飾り…