ラグビー

「4年間この日のことを思い続けてきた」不世出の主将リーチ・マイケルが2度の受難を乗り越えて悲願を達成するまで

齋藤龍太郎

2019.11.06

リーチはキャプテンとして、日本代表初の決勝トーナメント進出に大いに貢献した。写真:茂木あきら(THE DIGEST写真部)

 15歳でニュージーランドから来日した少年は、人生の約半分を日本でラグビーに勤しみながら過ごし、今回のラグビーワールドカップの最中に31歳の誕生日を迎えた。

 リーチ・マイケル。日本国籍取得前はマイケル・リーチ。

 2011年に母国で行なわれたワールドカップに初出場し、2014年からラグビー日本代表のキャプテンとして活躍してきた。2015年と2019年の2大会でチームを率いた不世出のスキッパーだ。

 2015年のワールドカップ、イングランド大会でリーチが初めてチームの先頭に立った日本代表は、初戦の南アフリカ戦での劇的勝利を含む3勝1敗(プール戦敗退)という結果に大きく貢献した。それまで通算1勝しかできていなかったチームにとって、まさに歴史的な大会となった。

 2016年以降は一時的に日本代表から距離を置いたが、2017年6月10日のルーマニア戦で代表復帰。ジェイミー・ジョセフHC体制のもと引き続きキャプテンを拝命し、心身ともに充実した状態で2年後のワールドカップを迎えるはずだった。

 しかし2019年、リーチは2度の受難に見舞われる。
 
 まず3月、恥骨の炎症を起こし、時折激痛が走る症状に見舞われた。リーチ自身「こんなことは生まれて初めて」という突然の発症で、大事なワールドカップイヤーの序盤にもかかわらず練習もままならない日々が続いた。

「このままではワールドカップに出られないかもしれない」

 リーチは人知れず悩んでいた。キャプテンという重責を担っていたことがさらに不安を増幅させた。長期にわたる合宿の大半を別メニューで過ごし、再び全体練習に参加するまでに3か月もの時間を要した。

 それでも、7、8月に行なわれたパシフィック・ネーションズカップで実戦復帰を果たし、自身3度目のワールドカップ登録メンバー入りを決めた。

 2度目の受難は大会中に起きた。

 開幕戦のロシア戦で、日本のファンの期待を一身に背負い重圧がかかる中、30-10で勝利したが、リーチのFLとしてのパフォーマンスは本調子とは言えないものだった。

 ジョセフHCはその翌週、プール最難関の大一番アイルランド戦でリーチを先発から外し、リザーブに据えた。これはプレーに集中させることを目的としたジョセフHCの采配だったが、キャプテンとして先発出場することが日常だったリーチにとっては不本意だったはずだ。