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バレーボール

現役引退の福澤達哉が涙ながらに託した想い「北京での借りを頼むぞ」「日本のバレー界を引っ張ってほしい」

北野正樹

2021.07.15

東京五輪の落選を期に引退を決意した福澤。今後は社業に専念する。写真提供:パナソニック

東京五輪の落選を期に引退を決意した福澤。今後は社業に専念する。写真提供:パナソニック

 バレーボール男子の2008年北京五輪代表のアウトサイドヒッターで、パナソニックの福澤達哉が7月14日、オンラインで記者会見を開き、同日付での現役引退を発表した。今後、社業に専念し「世界に通用するビジネスマン」を目指す。

 会見で福澤は、「難しい決断だったが、バレーは私の人生そのもの。限界がどこにあるのか、がむしゃらに、必死になってやってきたが、五輪代表から外れ、これで私の五輪への挑戦が終わった。最後まで日本代表として世界と戦えたことは誇り。海外挑戦など、プロセスに何の悔いもない」と、時折、あふれる涙をぬぐいながら、引退決断までの思いを語った。

 中学時代からのライバルで、パナソニックでは親友となったエース・清水邦広と交わした約束を果たせなかったことが、現役引退につながった。

 2年連続してフランスのプロリーグ、パリバレーでプレーした福澤。2度の膝の大怪我から復帰した清水とは、東京五輪出場をともに目標として、「現地集合しよう」が2人の合言葉だった。

 清水からは「一緒に(東京で)戦いたかったな」とねぎらいの声を掛けられたという。「彼(清水)の方が落ち込んでいたが、アスリートとしては結果がすべて。(口に出してはいないが)北京での借りを頼むぞ、という思いは伝わっていると思う」と、1勝もできなかった北京五輪の悔しさを晴らしてほしいとの思いを託した。
 
 フランスから帰国し、最後の選考の場となったネーションズリーグまで残ったが、決してベストの状態でコートに立ち、競い合ったわけではなかった。しかし、福澤は「コロナ禍で、帰国後、2週間の隔離期間などもあったが、コンディションを整えることができなかったことも実力のうち。マネジメントして、常に前に進むのがトップアスリート」と、悔しさはにじませなかった。

 まもなく始まる東京五輪で戦う12人のメンバーのうち、大学生の高橋藍(日体大2年)と大塚達宣(早大3年)については「みなさんも感じていると思うが、ここ数年の男子バレーには目に見張るものがある。この2人は(北京五輪で大学生として選んでもらった)自分と比べようがない。(競技の普及、競技人口の拡大などにとって)こういうサイクルは非常にいい。結果にこだわり、日本のバレー界を引っ張ってほしい」とエールを贈った。

 会見の最後に、清水から映像を通して「初めて出会って20年。こんなすごいヤツがいるのか、と思ってやって来て、(パナソニックでは)ライバルからかけがえの仲間となった。東京五輪では福澤の分まで頑張る」とねぎらいの言葉が贈られた。

 今後、福澤は社業に専念する。現在は広報部に所属しており、「アスリートとして、スポーツの持つ力のすごさも感じた。世界と戦ってきた自分にしか見えない強みも生かし、世界に通用するビジネスマンを目指したい」と抱負を語った。

 前日本代表男子監督で、パナソニックの南部正司GMは「福澤が所属したパリバレーはパリの市庁舎内にあるなど、パリ市との関係は深い。パリ五輪に向けて、福澤の経験は生きるはず」と、パナソニックのビジネスマンとして福澤の活躍に期待を寄せていた。

文●北野正樹(フリーライター)
【プロフィール】きたの・まさき/1955年生まれ。2020年11月まで一般紙でプロ野球や高校野球、バレーボールなどを担当。南海が球団譲渡を決断する「譲渡3条件」や柳田将洋のサントリー復帰などを先行報道した。

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