格闘技・プロレス

ただ強いだけではない、何から何まで劇的だった格闘家アンディ・フグ。今も受け継がれる魅せる魂【K-1名戦士列伝】

橋本宗洋

2022.01.11

相手を一撃で叩きのめす「カカト落とし」。この大技は世間でもアンディの代名詞として認知され、彼の名を知ら締めるものとなった。写真:産経新聞社

 1990年代から2000年代初頭、日本では現在を上回るほどの"格闘技ブーム"があった。リードしたのは、立ち技イベント「K-1」。その個性豊かなファイターたちの魅力を振り返る。

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 世界中から強豪格闘家を集結させ、一夜にしてトーナメントで最強を決める――。当時のK-1は、格闘技界においてはほとんどマンガのような企画だった。

 だが、それが現実のものとなった第1回大会は、伏兵ブランコ・シカティックの優勝という予想外の結末になった。マンガの破天荒さとスポーツのリアリズムが共存する世界は、世間をも巻き込んで大人気を博した。

 産声を上げたのは1993年。その第1回大会には、空手ルールのワンマッチでアンディ・フグが出場していた。極真会館の世界大会で準優勝したトップ選手のプロ転向は大きな話題となった。そんな彼がグローブ着用、顔面パンチ有効のK-1ルールで試合を行なうようになると、人気はさらに高まっていった。

 アンディはただ強いだけではなかった。代名詞は「カカト落とし」。足を真上に大きく振り上げ、相手の頭上から落とす。テコンドーの技にも似ているが軌道は独自のオリジナル技だ。

 この"必殺技"で、アンディの存在はさらに際立ち、分かりやすく伝わるものになったと言える。加えてローキックも強力。空手では足技のイメージが強かったが、グローブを着けるとパンチでも倒せるところも証明した。

 1994年にK-1 GPトーナメント初出場を果たし、96年に優勝。そこから97年、98年と準優勝を収めた。つまり3年連続で決勝進出を果たした。97年からK-1はドームに進出。GPファイナルは東京ドームで行なわれるようになった。そんなK-1最盛期を牽引したのが、アンディだったわけだ。

 そしてここでもまた、彼は「強いだけではなかった」と強調しておきたい。K-1のトップに立つ過程で、アンディは屈辱的な敗北を経験してもいるからだ。GP初出場となった94年に1回戦敗退。UFCでの荒々しい闘いぶりで話題になった"喧嘩屋"パトリック・スミスの連打を浴びてマットに沈んだ。期待感が高かっただけに、衝撃的な結末だった。

 リマッチの舞台は同年9月のワンマッチ。大会には『K-1 REVENGE』というタイトルが付いた。文字通り、アンディのための大会だった。この試合でKO勝ちを収めたことで、彼のキャリアはハイレベルなだけでなく、よりドラマチックなものになった。

 のちに「リベンジ」という言葉は、松坂大輔が使ったことで流行語大賞を受賞する。もしかすると松坂はK-1で使われた「リベンジ」を知っていたのかもしれない。そう考えても不思議ではないほど、当時のアンディとK-1は世間に認知されていた。
 
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短くも濃密だった生涯。その魂はいまも――