F1開幕戦のバーレーン・グランプリでは、アルファタウリの角田裕毅が16番手スタートから8位入賞を果たしたが、同様に好スタートを切ったのが、同じアジア人で、アルファロメオからF1デビューを飾ったジョウ・グァンユだ。
中国人初のF1ドライバーとなった上海出身の24歳は、参戦決定後は苦戦が予想されていたものの、新レギュレーションの下で戦闘力を上げた「C42」を駆って合同テストで好タイムを記録するなど、その力を示し、初のF1予選ではいきなりQ2進出。15番手からスタートした決勝では粘り強いレースを展開しながら、幾度もオーバーテイクを披露して、見事に10位入賞で1ポイントを獲得してみせた。
【関連記事】F1開幕戦、角田裕毅の8位入賞を海外メディアはどう報じたのか?16番手スタートからの巻き返しに本人は「とてもハッピー」
「本当に嬉しくて、言葉が出ない。夢はF1でレースをすること、ポイントを獲得することだったが、両方とも叶った」とレース後に喜びを表わしたジョウ。チームメイトのヴァルテリ・ボッタスも6位入賞で8ポイントを獲得したことで、アルファロメオはチャンピオンシップランキングの4位につけ(ちなみに3位はハース!)、まさにドライバー、チームともに見事なスタートダッシュを切ったと言えよう。
イタリアのスポーツ紙『Corriere dello Sport』は「アルファロメオのジョウが懐疑論者を沈黙させた」と報じ、デビュー戦での入賞という偉業を称賛したが、アジア人という括りで見るなら、角田とともに「1レースで2人のアジア人ドライバーが入賞を果たした3例目」とのことであり、ブラジルの総合メディア『terra』などが「ほとんど気づかれていないものの、歴史的な偉業である」と伝えている。
同メディアによれば、1例目は1990年日本GPの鈴木亜久里(ラルース)と中島悟(ティレル)で、前者は3位で日本人初の表彰台を達成し、後者は6位入賞。2例目は翌年の開幕戦アメリカGPで、今度は中嶋が5位、亜久里は6位に入り、共にこれが同年での唯一のポイント獲得だった。当時は6位までが入賞圏内であり、以降、2003年から8位まで、そして2010年から現在の10位までと拡大したが、アジアからも多くのドライバーが参戦したにもかかわらず、新たなケースはなかなか生まれることはなかった。
中国人初のF1ドライバーとなった上海出身の24歳は、参戦決定後は苦戦が予想されていたものの、新レギュレーションの下で戦闘力を上げた「C42」を駆って合同テストで好タイムを記録するなど、その力を示し、初のF1予選ではいきなりQ2進出。15番手からスタートした決勝では粘り強いレースを展開しながら、幾度もオーバーテイクを披露して、見事に10位入賞で1ポイントを獲得してみせた。
【関連記事】F1開幕戦、角田裕毅の8位入賞を海外メディアはどう報じたのか?16番手スタートからの巻き返しに本人は「とてもハッピー」
「本当に嬉しくて、言葉が出ない。夢はF1でレースをすること、ポイントを獲得することだったが、両方とも叶った」とレース後に喜びを表わしたジョウ。チームメイトのヴァルテリ・ボッタスも6位入賞で8ポイントを獲得したことで、アルファロメオはチャンピオンシップランキングの4位につけ(ちなみに3位はハース!)、まさにドライバー、チームともに見事なスタートダッシュを切ったと言えよう。
イタリアのスポーツ紙『Corriere dello Sport』は「アルファロメオのジョウが懐疑論者を沈黙させた」と報じ、デビュー戦での入賞という偉業を称賛したが、アジア人という括りで見るなら、角田とともに「1レースで2人のアジア人ドライバーが入賞を果たした3例目」とのことであり、ブラジルの総合メディア『terra』などが「ほとんど気づかれていないものの、歴史的な偉業である」と伝えている。
同メディアによれば、1例目は1990年日本GPの鈴木亜久里(ラルース)と中島悟(ティレル)で、前者は3位で日本人初の表彰台を達成し、後者は6位入賞。2例目は翌年の開幕戦アメリカGPで、今度は中嶋が5位、亜久里は6位に入り、共にこれが同年での唯一のポイント獲得だった。当時は6位までが入賞圏内であり、以降、2003年から8位まで、そして2010年から現在の10位までと拡大したが、アジアからも多くのドライバーが参戦したにもかかわらず、新たなケースはなかなか生まれることはなかった。