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格闘技・プロレス

みちのくから15万円を片手に渡ったメキシコ――プロレス界の巨星に導かれたカズ・ハヤシの数奇な運命【前編】

THE DIGEST編集部

2022.06.29

マスクマンへの憧れからプロレス界に踏み入ったカズ・ハヤシ。彼が辿った数奇な人生を振り返る。写真:萩原孝弘

マスクマンへの憧れからプロレス界に踏み入ったカズ・ハヤシ。彼が辿った数奇な人生を振り返る。写真:萩原孝弘

 エストレージャ――。スペイン語で「星」を意味するこの言葉は、同時にトップレスラーを意味するものでもある。

 小学生からルチャドールに憧れた男は、数々のエストレージャとの出会いを紡いで、“カズ・ハヤシ”という大きな星座を形成した。

 1981年から約2年、日本中を熱狂の渦に巻き込んだ初代タイガーマスク。「みんな憧れてましたよね。休み時間もプロレスごっこしたりして」と、当時小学2年生だったカズ・ハヤシもご多分に漏れず、一気にプロレスの世界に、特にマスクマンに魅了された。

「ほかのレスラーってみんな黒なのに、マスクマンはコスチュームも派手で、現実離れしたカッコよさがありますよね。だってそんな人、絶対街にいないじゃないですか。どんな顔しているのかなとか興味が沸くことがいろいろありました」

 マスクマンならではのミステリアスな雰囲気に惹き込まれていった少年は、小学5年生時には「将来の夢を授業で発表する課題があって、そこにマスクを剥がされる絵と一緒に、しっかりと『ぼくはプロレスラーになる!』って書いてました」と、すでにリングへと想いは向かっていた。そして中学2年になるころには「プロレスショップでマスクを実際に手に取って、帰りには手作りマスクキットも買ってました」。日に日にマスクマンへの想いはエスカレートしていた。

 誰もが抱く幼少期の夢を現実のものにするのは、決して容易ではない。ただそこには時代の風が後押しする“運”も味方した。
 
「高校3年になると進路の話になるじゃないですか。プロレスラーにはなりたかったんですけど、この頃は新日と全日の新人募集も180センチ以上の応募基準があって…ここはムリかと」と一旦は厳しい現実を突きつけられたカズ青年。だが、マスクマン志望の18歳は「メキシコなら身長低くてもレスラーになれるはず。高校卒業したら単身メキシコに渡ろう」と意を決していた12月、人気を博していたプロレス週刊誌で目にしたユニバーサルプロレスのオーディションを目にした。

「身長も170センチで大丈夫だったので受けに行ったら合格をもらいました。現在の邪道外道さんやディック東郷さんが面接官で『高校卒業したらおいでって』言って頂き、翌年3月には練習生として入りました」

「昔からの流れに沿っているので、あの当時はキツかったですよ。初めてのことも当然多かったですしね」。憧れ続けたプロレス界には、相撲から引き継がれる独特な世界観があった。しかし、カズ・ハヤシは必死に食らいついた。そして鍛錬に鍛錬を重ねた1992年11月にデビューが決定した。
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