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格闘技・プロレス

衝撃のWCWデビュー。そして天才・武藤敬司との出会い――プロレス界の巨星に導かれたカズ・ハヤシの数奇な運命【後編】

THE DIGEST編集部

2022.06.30

アメリカに渡ってからは新日本プロレスの永田裕志と研鑽の日々を積んだ。写真:萩原孝弘

アメリカに渡ってからは新日本プロレスの永田裕志と研鑽の日々を積んだ。写真:萩原孝弘

 アメリカのWCWのリングに上がりたい。カズ・ハヤシの熱い気持ちの架け橋となったのは当時WCWに参戦していたウルティモ・ドラゴンこと浅井嘉浩だった。

「浅井さんとWCWの日曜日のペイ・パー・ビューにダークマッチで出させてもらったんです。するとその試合内容を認めてもらいまして、浅井さん自らブッカーと話しをしてくれたんです」

 そこからトントン拍子に事は転がった。そして、1998年に急転直下で、カズ・ハヤシとして、超メジャー団体のWCWとの契約を果たしたのである。

「すぐにメキシコからアメリカに行くことになりまして。でも住むところのあてもないんですよ」と困惑していると、ちょうど武者修行中の新日本プロレス・永田裕志から声がかかった。

「アトランタのUSA大山空手の先生のところに永田さんが住んでいて、ベッドルーム空いてるから来ないかっていって頂いたんです。もちろんお願いして男三人の生活が始まりました」

 ひょんなことからアメリカでの拠点が決まった。「永田さんとはクルマに乗せてもらって、ジムも移動も一緒でした。アメリカの生活も教えて頂きました」と感謝するカズ・ハヤシ。アメリカでも不思議な縁が、そのキャリアを後押ししていった。

 広大なアメリカでのサーキット生活も「メキシコもそうですけど、みちのくでの夏休みシリーズで、48日間のうち休みは2日っていうのを経験していますからね。小さな怪我をかばいながらどう試合すればいいかの術はありました」と両国で培った能力がモノを言った。

 そして、「すごく待遇は良かったですよ」とVIPを実感したカズ・ハヤシは、「プロレス漬けで約4年間。週3回、2回ライブで1回は撮り。色々出させていただきましたし、長くしぶとくやってました」と最高峰でのレスラー生活を終えかけた。だが、この時にまたもや大物との縁によって人生が変わる。
 
 その男とは武藤敬司。WCWにグレート・ムタとして長期参戦していたレジェンドだ。

「アトランタでウェルカムパーティーをやったときがはじめましてでした。その後も同じアトランタに住んでいたこともあり、移動でも会場でもジムでも一緒に約1年半いましたね」

 そもそもカズ・ハヤシは稀有な存在だった。「日本でもしっかりと基礎を学び、メキシコとアメリカでまた違った基礎。普通はひとつ基礎を持っていれば十分だと思うんですけど、ぼくはスタイルの違う3つの基礎をもっているんです」と本人が語る通りだ。

 この能力に目をつけたのが、他ならぬ武藤だった。

「『全日本プロレスに一緒に来ないか』と。さらにコーチとしてもやってくれないかと声をかけてくれました。アトランタでの練習を見ていてくれたんですね。いろいろ基礎的なことを疎かにしないで、やってきてよかったです」

 文字通り世界で培った確かな技術を、天才・武藤敬司に買われ、カズ・ハヤシの新しい戦いの道が拓けていった。
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