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【名馬列伝】京都に咲き、京都に散ったライスシャワー。宿敵の三冠を阻んだ菊花賞はいかなるレースだったのか?<前編>

三好達彦

2022.07.25

1992年の菊花賞を制したライスシャワー。ミホノブルボンの無敗での三冠制覇を阻止した。写真:産経新聞社

1992年の菊花賞を制したライスシャワー。ミホノブルボンの無敗での三冠制覇を阻止した。写真:産経新聞社

 京都競馬場にはひとつのブロンズ像と、ひとつの石碑がある。

 前者は、戦後初の三冠馬となったシンザン。後者は京都で三つのGⅠレースを制し、そして命を落とした稀代のステイヤー、ライスシャワーを悼んだ石碑である。

 その悲劇的な死は、競馬ファンの胸にいまも抜けない棘のように刺さり続け、石碑を訪れて手を合わせる者は後を絶たない。

 京都に咲き、京都で散ったライスシャワーの生涯をいま一度、振り返ってみる。

 ライスシャワーは1989年3月、北海道・登別のユートピア牧場で生を受けた。

【動画】最後の直線で差し切ったライスシャワー! ミホノブルボンの三冠制覇を阻んだ1992年菊花賞
 ユートピア牧場は、戦前から”クリ”の冠号で知られた馬主の栗林友二によって買収され、後には息子の栗林英雄に引き継がれた名門牧場である。

 ライスシャワーの血統をみると、母系は豪州から輸入されたアイリッシュアイズに端を発する、栗林が大切に育ててきたライン。祖母クリカツラに、ニジンスキー(Nijinsky)直仔の持込馬で、9戦9勝の圧倒的な成績を残して種牡馬入りしたマルゼンスキーを付けてできたのが、ライスシャワーの母となるライラックポイントである。

 父のリアルシャダイは大種牡馬ロベルト(Roberto)の仔で、将来的に日本で種牡馬にすることを前提に社台グループの創始者である吉田善哉が米国のセリで購買した馬。フランスで現役生活を送り、G2レースを勝ち、フランス・ダービー(GⅠ)2着という成績を残し、予定どおりに日本で種牡馬入りした。

 初年度から桜花賞馬シャダイカグラを出したことから人気は上昇。ライスシャワーはリアルシャダイの3世代目の産駒だった。

 バランスのいい馬体ながら小柄で、大物感はなかったという2歳のライスシャワーは1991年8月の新潟で新馬戦(芝1000m)に出走。3番手から抜け出して勝利を収めるが、続く新潟3歳ステークス(GⅢ、芝1200m/現・2歳ステークス)は後方のまま11着に惨敗する。競馬が中央場所に戻り、中山の芙蓉ステークス(OP、芝1600m)では4コーナーで先頭に立つ積極的なレースを仕掛け、接戦をクビ差で制して2勝目を挙げた。

 その後、軽度の骨折が判明して休養に入ったライスシャワーは、復帰戦となった翌春のスプリングステークス(GⅡ、中山・芝1800m)を4着、皐月賞(GⅠ、中山・芝2000m)を8着と、いずれもミホノブルボンに大差を付けられて大敗。そして続くNHK杯(GⅡ、東京・芝2000m)でも8着に惨敗したことから、すっかり評価を落としてしまった。
 
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