1990年代から2000年代初頭、日本では現在を上回るほどの“格闘技ブーム”があった。リードしたのは、立ち技イベント「K-1」。その個性豊かなファイターたちの魅力を振り返る。
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K-1ヘビー級が体格もパワーも規格外の“超人”の世界だとしたら、中量級(70kg)のK-1 WORLD MAXは“等身大のヒーロー”が魅力を発揮した舞台だった。
ファンにとってはより身近で、いい意味で格闘家らしくない選手も多かった。たとえば、K-1中量級を引っ張った魔裟斗は、格闘技界に女性ファンも呼び込んだ。それまでの「格闘家」のイメージを覆すような存在だった。
そんななかで異彩を放ったのが武田幸三である。“質実剛健”と言えばいいだろうか。あるいは“愚直”か。彼は華やかさではなくモノクロームの存在感で観客の心を掴んだ。
所属は新日本キックボクシング協会の治政館。もともとラグビーをやっていた彼だが、ヘビー級のK-1、とりわけブランコ・シカティック(クロアチア)を見て衝撃を受け、キックボクシングの道へ。当時は自身もヘビー級で闘うつもりだったという。
実際のスタートはキックボクシングの前座。しかし、次第に頭角を表すと、鍛えられた肉体から“超合筋”という異名がついた。そしていつしか武田の目標は“打倒ムエタイ”に変わった。
そんな武田のファイトスタイルは、ローキックと右ストレートを軸にしたシンプルなものだった。決して器用な選手ではなかったが、最小限の武器で相手を倒す、その武骨さが何より彼の人気を高めた。
ローで脚にダメージを与え、左手で相手のガードを払い、右ストレートを叩き込む――。それはムエタイに対抗するために磨き抜いた手段だった。多彩なテクニックを持ち、試合運びも巧みな相手には、“巧さ”で抗ってもなかなか勝てるものではなかった。
となれば倒すしかない。だが、ムエタイ戦士は打たれ強くもある。武田曰く「ムエタイは“痛い”では倒れない」。だから武田は顔面へのパンチで失神させるしかないと、とにかくシンプルなスタイルを磨き抜いた。
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K-1ヘビー級が体格もパワーも規格外の“超人”の世界だとしたら、中量級(70kg)のK-1 WORLD MAXは“等身大のヒーロー”が魅力を発揮した舞台だった。
ファンにとってはより身近で、いい意味で格闘家らしくない選手も多かった。たとえば、K-1中量級を引っ張った魔裟斗は、格闘技界に女性ファンも呼び込んだ。それまでの「格闘家」のイメージを覆すような存在だった。
そんななかで異彩を放ったのが武田幸三である。“質実剛健”と言えばいいだろうか。あるいは“愚直”か。彼は華やかさではなくモノクロームの存在感で観客の心を掴んだ。
所属は新日本キックボクシング協会の治政館。もともとラグビーをやっていた彼だが、ヘビー級のK-1、とりわけブランコ・シカティック(クロアチア)を見て衝撃を受け、キックボクシングの道へ。当時は自身もヘビー級で闘うつもりだったという。
実際のスタートはキックボクシングの前座。しかし、次第に頭角を表すと、鍛えられた肉体から“超合筋”という異名がついた。そしていつしか武田の目標は“打倒ムエタイ”に変わった。
そんな武田のファイトスタイルは、ローキックと右ストレートを軸にしたシンプルなものだった。決して器用な選手ではなかったが、最小限の武器で相手を倒す、その武骨さが何より彼の人気を高めた。
ローで脚にダメージを与え、左手で相手のガードを払い、右ストレートを叩き込む――。それはムエタイに対抗するために磨き抜いた手段だった。多彩なテクニックを持ち、試合運びも巧みな相手には、“巧さ”で抗ってもなかなか勝てるものではなかった。
となれば倒すしかない。だが、ムエタイ戦士は打たれ強くもある。武田曰く「ムエタイは“痛い”では倒れない」。だから武田は顔面へのパンチで失神させるしかないと、とにかくシンプルなスタイルを磨き抜いた。