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格闘技・プロレス

驚愕させた凄まじい伝説の数々。なぜ“神の子”山本“KID”徳郁は人に愛されたのか?【K-1名戦士列伝】

橋本宗洋

2022.02.24

大きな注目を集めたなかでのK-1デビューもド派手なKO勝ち。常にKID(左)は、大衆の求めるパフォーマンスを見せつけていた。写真:産経新聞社

大きな注目を集めたなかでのK-1デビューもド派手なKO勝ち。常にKID(左)は、大衆の求めるパフォーマンスを見せつけていた。写真:産経新聞社

 1990年代から2000年代初頭、日本では現在を上回るほどの“格闘技ブーム”があった。リードしたのは、立ち技イベント「K-1」。その個性豊かなファイターたちの魅力を振り返る。

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 エメリヤーエンコ・ヒョードルは“皇帝”。そして那須川天心は“神童”。有名なキャッチフレーズを持つ人気格闘家は多い。そのなかで異彩を放つのが、“神の子”ではないだろうか。言うまでもなく、山本“KID”徳郁の異名だ。

 この言葉を本人が口にしたのは、2004年のK-1 WORLD MAX初参戦時、その選手紹介VTR内だった。「俺は格闘技の神の子」。彼は自らそう名乗った。

 なにしろ格闘エリート一族だ。父はレスリングでミュンヘン五輪に出場した山本郁榮。姉の美憂、妹の聖子は、女子レスリングで世界を制した開拓者だ。徳郁自身も学生時代はレスリングに没頭。1999年には、全日本学生レスリング選手権を制するほどに活躍した。

 プロデビューは2001年だった。舞台は総合格闘技の老舗「修斗」である。修斗での通算成績は8戦6勝(2敗)。外国人選手相手に勝利を逃した試合もあったが、それはローブローによる無効試合と出血ドクターストップでの敗戦だった。

 とにかく勝ちっぷりが凄まじかった。レスリング出身ながら、総合での持ち味は打撃。軽量級ながら、ファイトスタイルは豪快で迫力に満ちていた。もちろんレスリングという軸があり、テイクダウンされない自信があるからこそ打撃勝負ができたのだろう。だが、それを加味しても圧巻だった。

 圧倒的な打撃力を買われ、立ち技のK-1へ乗り込んだ。当時は、カリスマの異名で知られた魔裟斗が引っ張るK-1 MAXが人気となっていたが、先述の“神の子”発言とともにメジャーのリングに上がったKIDは、日本トーナメント1回戦で村浜武洋と対戦。パワフルかつ抜群のタイミングで放つパンチでKO勝利を収めた。

 村浜といえばシュートボクシングをはじめ、数多のリングで活躍してきた名手。そんな彼を圧倒したインパクトもまた凄まじかった。その後、KIDは準決勝を負傷により棄権。しかし、たった1試合で、“神の子”というフレーズとともに、男は全国区の存在となった。

 スターダムを駆け上がった同年の大晦日には、自らアピールして魔裟斗戦を実現させる。K-1ルールでの対戦はもちろん不利。しかしKIDは先制のダウンを奪ってみせる。最終的に判定負けとなったものの、そのパフォーマンスは見る者を驚愕させた。
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