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格闘技・プロレス

打倒・ムエタイのために磨いた拳。“愚直なヒーロー”武田幸三はなぜ愛され、今なお色褪せないのか【K-1名戦士列伝】

橋本宗洋

2022.07.31

 初のムエタイ王座戦はチャラームダム・シットラットラガーン(タイ)を相手に無念のドロー。しかし、2001年に行なわれたリベンジマッチで見事にKOし、ムエタイの殿堂ラジャダムナン・スタジアムのウェルター級王座を奪取した。この時のフィニッシュは「倒すしかない」と磨いた渾身の右ストレートだった。

 拳一つに人生を懸け、ムエタイという強大な敵に挑む。武田が持つ独特の個性と強さは際立っていた。

 K-1 WORLD MAXがスタートしたのはムエタイ王座を獲得した翌年。無論、武田にも出場待望論があった。そして2003年に、満を持してK-1 MAX日本トーナメントに初出場すると決勝進出。惜しくも魔裟斗に敗れたが、その出場がMAXの世界の広がりを証明するものでもあった。
 
 攻撃主体の闘い方ゆえ、隙もあり、負けも多かった。筆者は武田のキャリア初黒星となったタイ人との試合を取材しているのだが、バックステージで「あぁ、ショックでけえ……」とうなだれる姿は今でも鮮明に覚えている。それぐらいに印象的だった。

 だが、彼は一度落ちても何度も這い上がり、ついにはムエタイのベルトを巻いた。決して多くは語らない。だがしかし、気持ちの伝わる選手だった。武田が見せつけた武骨で愚直な闘いが我々に残した記憶は、今も色褪せない。

文●橋本宗洋

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