プロとして活躍する方々のインタビューを通し、明日への一歩を応援する「Do My Best, Go!」。第22回に登場していただくのは2011年にサッカー女子日本代表“なでしこジャパン”がワールドカップ初優勝を果たした際の一員で、CBとして名を馳せてきた岩清水梓選手。これまでのキャリア、プレーの質の高さにつながる食の大切さ、そして母親としての素顔など、様々なテーマについて語ってくれた。
■サッカーとの出会い、プロへの道
――サッカーをやり始めたきっかけは?
小学校の時、少年団に入り、男の子と一緒にボールを追いかけていたのがきっかけです。当時のポジションはFWでした。一番足が速かったですね。今の私のプレースタイルとはまったく違いましたね(笑)。振り返ると、メニーナ(ベレーザの育成チーム)に入ってから、ポジションがどんどん下がっていき、最終的にはCBに落ち着きました。
ベレーザに入れたことで、自分のサッカー人生は大きく変化しました。なでしこジャパンに選出された多くの諸先輩方と一緒にサッカーができる環境が本当に大きかった。意志のない選手は上に上がれない環境に身を置けたことで、必然と上を目指すようになりました。
――プロを目指したのは?
小学校6年生の時にメニーナのセレクションに受かったのがターニングポイントですね。セレクションは、父親が応募してくれました。
運よく受かったという表現が適切かどうか分からないですが、セレクションの合格があったから、今の私があります。落ちていれば、中学校のソフトボール部に入る予定でした。父がソフトボールをやっていたこともあり、そちらのほうが可能性は高いかなと思っていたレベルです。

写真:©Tokyo Verdy
■プロ選手としての生活
――メニーナに加入した時の練習やチームメイトの印象は?
セレクション当日から、女子サッカーのレベルの高さに驚きました。同時に女子サッカーがどういうものなのかも、セレクションを受けるまでイメージができませんでした。
男子に混じって男の子の中でサッカーをやっていたとはいえ、遊びの延長のようなものでしたから。セレクション合格後も一番私が下手で、やっていけるのかなという不安がありました。
――ベレーザでは、2018、19年の2年連続での3冠を含めて多くの優勝経験をされていますが、キャリアのなかで一番印象的な出来事は?
いろいろありますね。私が若手の頃、ベレーザは全盛期で、優勝が当たり前のチームでした。その後、澤穂希選手ら主力が移籍し、優勝ができないシーズンが続きました。私はキャプテンを務めていた分、悔しさやもどかしさが強かったですね。
そういった難しいシーズンが続き、やっとキャプテンとしてトロフィーを掲げられたことは最高の思い出です。ベレーザは「常勝」チーム。若い頃から、先輩たちの背中を見て、ベレーザはそういうチームであるべきだと学んできました。
だからこそ優勝した時は、自分たちの世代が過去のベレーザと肩を並べられたかな、黄金期のベレーザに少しでも近づけたかな、といろいろなことを考えました。
――ベレーザでのデビュー戦のことは覚えていらっしゃいますか?
デビュー戦は、CBではなくサイドハーフで少しだけ交代出場しました (笑)。何もできずに終わりました。多分、試合の空気感を経験させるために出して貰ったと思っていたのであまりデビューという感覚はなかったですね。いい思い出ではないです(笑)。
■サッカーとの出会い、プロへの道
――サッカーをやり始めたきっかけは?
小学校の時、少年団に入り、男の子と一緒にボールを追いかけていたのがきっかけです。当時のポジションはFWでした。一番足が速かったですね。今の私のプレースタイルとはまったく違いましたね(笑)。振り返ると、メニーナ(ベレーザの育成チーム)に入ってから、ポジションがどんどん下がっていき、最終的にはCBに落ち着きました。
ベレーザに入れたことで、自分のサッカー人生は大きく変化しました。なでしこジャパンに選出された多くの諸先輩方と一緒にサッカーができる環境が本当に大きかった。意志のない選手は上に上がれない環境に身を置けたことで、必然と上を目指すようになりました。
――プロを目指したのは?
小学校6年生の時にメニーナのセレクションに受かったのがターニングポイントですね。セレクションは、父親が応募してくれました。
運よく受かったという表現が適切かどうか分からないですが、セレクションの合格があったから、今の私があります。落ちていれば、中学校のソフトボール部に入る予定でした。父がソフトボールをやっていたこともあり、そちらのほうが可能性は高いかなと思っていたレベルです。

写真:©Tokyo Verdy
■プロ選手としての生活
――メニーナに加入した時の練習やチームメイトの印象は?
セレクション当日から、女子サッカーのレベルの高さに驚きました。同時に女子サッカーがどういうものなのかも、セレクションを受けるまでイメージができませんでした。
男子に混じって男の子の中でサッカーをやっていたとはいえ、遊びの延長のようなものでしたから。セレクション合格後も一番私が下手で、やっていけるのかなという不安がありました。
――ベレーザでは、2018、19年の2年連続での3冠を含めて多くの優勝経験をされていますが、キャリアのなかで一番印象的な出来事は?
いろいろありますね。私が若手の頃、ベレーザは全盛期で、優勝が当たり前のチームでした。その後、澤穂希選手ら主力が移籍し、優勝ができないシーズンが続きました。私はキャプテンを務めていた分、悔しさやもどかしさが強かったですね。
そういった難しいシーズンが続き、やっとキャプテンとしてトロフィーを掲げられたことは最高の思い出です。ベレーザは「常勝」チーム。若い頃から、先輩たちの背中を見て、ベレーザはそういうチームであるべきだと学んできました。
だからこそ優勝した時は、自分たちの世代が過去のベレーザと肩を並べられたかな、黄金期のベレーザに少しでも近づけたかな、といろいろなことを考えました。
――ベレーザでのデビュー戦のことは覚えていらっしゃいますか?
デビュー戦は、CBではなくサイドハーフで少しだけ交代出場しました (笑)。何もできずに終わりました。多分、試合の空気感を経験させるために出して貰ったと思っていたのであまりデビューという感覚はなかったですね。いい思い出ではないです(笑)。