日本の格闘技界で意外な選手が話題になった。かつてK-1で活躍したシリル・アビディ(フランス)だ。2月19日に開催された、巷で話題の"1分間格闘技"大会『Breaking Down7』に出場。メインイベントで安保瑠輝也と対戦したのである。
【動画】伝説の打ち合い! これぞ「喧嘩師」アビディが魅せた圧巻のKOシーンをチェック
安保は新生K-1のトップファイターとして活躍してきた選手だ。現役バリバリの日本人戦士に対峙したアビディはもうすぐ47歳。それでも大会前日の会見で「俺はこれまで一度も試合を断ったことがない」と言う姿が印象的だった。それでこそシリル・アビディである。
フランスはマルセイユで生まれ育ったアビディは、1999年にK-1初参戦。初陣でスイスの空手家であるピーター・マエストロビッチ(スイス)を打ち破ると、同年に日本のリングにも立った。
彼の名前と、"マルセイユの悪童"というキャッチフレーズが一気に広まったのは2000年の7月。ピーター・アーツ(オランダ)との対戦だった。
K-1 WORLD GPに第1回大会から出場し、この時点で3度の優勝を果たしていたアーツは、いわばK-1の象徴のような存在だった。当然、下馬評は相手が圧倒的に優位だった。試合内容としてもオランダの雄が攻勢を強めていた。しかし、アビディも必死に反攻する。その姿から大物相手にもまったく臆していないことがヒシヒシと伝わってきた。
そして、アーツが攻めあぐねていた1回だった。アビディが渾身の右ストレートをヒットさせ、大逆転かつビッグ・アップセットによるKO勝ちを収めたのである。さらに同年8月のリマッチも制し、"マルセイユの悪童"は完全にK-1ファンの心を掴んだ。
闘いぶりは勇猛果敢そのものだった。ケンカ上等の打ち合いで観客を沸かせた。それだけに手酷い敗北も喫しているし、連戦が続くGPで優勝できなかった。敗戦後に「俺はもう地元に帰ってパン屋でもやるよ」と嘆いていたこともある(後に本当にベーカリーを経営したという話には驚いた)。
真っ向勝負を挑むがゆえに敗戦も多く、客観的に見ればK-1のトップファイターとまでは言えなかった。ただ、彼がファンの記憶に残る戦士だったのは間違いない。キャリアを振り返ると欠場選手の代打出場も何度かある。本人が言うように、誰が相手でもどんなタイミングでもリングに向かったのだ。
そんなアビディだからこそ、今回の『Breaking Down』出場も話題になった。さすがに全盛期の動きはできないだろう。だがアビディなら何か見せてくれるのではないかと。
結果的に、1分3ラウンドの試合で3ラウンドKO負け。1ラウンド、2ラウンドにもダウンを奪われた。体重差がありながら文字通りの完敗だった。
だが、アビディはダウンしても、その度に立ち上がり、安保に立ち向かった。単なる"ゲスト参戦"ではなく自分ができる限界まで闘ったのだ。彼の最大の強みであり、かつて格闘技ファンを魅了したファイティングスピリットは、今も失われていなかった。
文●橋本宗洋
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そして、アーツが攻めあぐねていた1回だった。アビディが渾身の右ストレートをヒットさせ、大逆転かつビッグ・アップセットによるKO勝ちを収めたのである。さらに同年8月のリマッチも制し、"マルセイユの悪童"は完全にK-1ファンの心を掴んだ。
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結果的に、1分3ラウンドの試合で3ラウンドKO負け。1ラウンド、2ラウンドにもダウンを奪われた。体重差がありながら文字通りの完敗だった。
だが、アビディはダウンしても、その度に立ち上がり、安保に立ち向かった。単なる"ゲスト参戦"ではなく自分ができる限界まで闘ったのだ。彼の最大の強みであり、かつて格闘技ファンを魅了したファイティングスピリットは、今も失われていなかった。
文●橋本宗洋
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