専門5誌オリジナル情報満載のスポーツ総合サイト

  • サッカーダイジェスト
  • WORLD SOCCER DIGEST
  • スマッシュ
  • DUNK SHOT
  • Slugger
格闘技・プロレス

日本を驚かせたノーガードでの壮絶な打撃戦。腕っぷしで成り上がったマーク・ハントが愛された理由【K-1名戦士列伝】

橋本宗洋

2022.05.16

K-1が拡大化していくなかで、その波に乗ったハントは当時のファンを魅了した。(C)Getty Images

K-1が拡大化していくなかで、その波に乗ったハントは当時のファンを魅了した。(C)Getty Images

 1990年代から2000年代初頭、日本では現在を上回るほどの“格闘技ブーム”があった。リードしたのは、立ち技イベント「K-1」。その個性豊かなファイターたちの魅力を振り返る。

―――◆―――◆―――

 1993年にスタートしたK-1は瞬く間に爆発的人気を博し、年々規模を拡大していった。

 8人で始まったトーナメントは気づけば16人に。1回戦8試合が行なわれ、勝ち残った8人が決勝トーナメントを争うという形式になった。さらに世界各地区での予選大会も実施。これにより“未知なる猛者”が登場しやすい大会になったと言えるだろう。

 とはいえ、当時のK-1トップ戦線はハイレベルな戦士が居並び、そこに食い込むのは至難の業。そんななかで“シンデレラ・ストーリー”を描いたのが、マーク・ハント(ニュージーランド)だった。

 2000年、2001年とオセアニア予選で優勝を飾ったハントは、どちらの年も世界トーナメント出場をかけた闘いで敗れたが、2001年は敗者復活トーナメントに急遽参戦。ここで彼の人生は大きく変化した。

【動画】まさに腕っぷしで成り上がったハントのKOシーンをチェック
 1回戦でレイ・セフォー(ニュージーランド)と対戦したハントは壮絶な打撃戦を展開。ノーガードで挑発し、そのままパンチをもらっても微動だにせず、顔面でセフォーの攻撃を受け切ってしまったのだ。

 この試合、ハントは判定負けを喫する。過去のトーナメントでもそうだったのだが、ハントはトップ選手と対戦すると、戦略的な面で遅れを取って敗れる試合が少なくなかった。だが、セフォー戦のノーガード戦法は特大のインパクトを残し、観客の心を掴んだ。

 しかもセフォーの負傷により、繰り上がりで決勝進出を果たしたハントは、アダム・ワット(オーストラリア)を破って優勝。ワールドGP決勝トーナメントへの切符を掴んだのである。このハントの暴れっぷりが、テレビで放送されると、東京ドームでの決勝大会のチケットが急激な売れ行き見せたとも言われる。

 さらに決勝トーナメントの抽選では、優勝候補だったジェロム・レ・バンナ(フランス)と激突する1回戦を選んでファンを驚かせると、試合では強烈なパンチを打ち込んで、相手を失神させるKO勝利。その勢いのまま勝ち上がった決勝戦では、“極真の怪物”と言われたフランシスコ・フィリォ(ブラジル)も下して戴冠。なんと決勝トーナメント初参戦の男が、K-1の主役になってみせたのである。
NEXT
PAGE

RECOMMENDオススメ情報

MAGAZINE雑誌最新号