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食と体調管理

「苦しかったことが今の自分の武器に」平泳ぎ・金藤理絵が挫折を乗り越えて掴んだ金メダルと日々を支えた食生活

矢内由美子

2023.07.03

写真:GettyImages

写真:GettyImages

 アスリートへのインタビューを通し、明日への一歩を応援する「Do My Best, Go!」。今回登場するのは、競泳の日本代表選手としてオリンピック2大会に出場し、2016年リオデジャネイロオリンピックの女子200m平泳ぎで金メダルを獲得した金藤理絵さん。金メダルにたどりつくまでの歩みや葛藤、ジュニアアスリートへのアドバイスなどを語ってくれた。

■北京オリンピックで北島康介さんを見て「金メダルを目指す」と決意

――水泳を始めたきっかけを教えてください。

 私は3人きょうだいの末っ子で、小1の時、6年生だった兄が水泳をしたいと言ったのがきっかけになって兄姉が泳いでいるところを見て「楽しそうだな、私もやりたい」と、小学生3年生の時にスイミングに通い始めました。それまでは父に水泳を教えてもらいながら、兄姉のスイミングが終わるのを待っていました。

――オリンピックはいつから意識していましたか。

 小学校6年生の卒業文集に「将来の夢」を書くコーナーがあって、そこに「オリンピックの金メダル」と書きました。でも、高校生の頃までは「人生を懸けてオリンピックに出るんだ」という強い気持ちはまだなかったですね。

 大学2年生の時に2008年北京オリンピックに出場して、北島康介さんのレースを見たときに自分も心からオリンピックで金メダル取りたいという目標を語れるようになったのだと思います。
 
――初出場だった北京オリンピックでは女子200m平泳ぎで7位入賞を果たし、北島さんから大いに刺激も受けました。しかし、4年後のロンドンオリンピックは出場権を逃しました。どのような心境だったのでしょう。

 北京の時は、まずはオリンピックの雰囲気を経験しよう、そして社会人2年目で迎える2012年のロンドンオリンピックで金メダルを目指そうというスタンスでした。それなのにロンドンには出られず、2013年、14年は水泳を辞めたいという気持ちが大きくなっていました。頑張っているのに結果を残せず、裏切られているような感覚になってしまったんです。

 競泳は9月頃からシーズンオフに入るのですが、毎年その時期になるとコーチに「辞めさせてほしい」と言っていました。でも、コーチからはそのたびに「お前には可能性がある」と引き留めてくれ、「お前はやりたいと言えばサポートしてもらえる環境にいる。両親もそう、会社もそう。誰かに辞めた方が良いと言われたら辞めるべきだけど、みんなが続けた方が良いよと言っているのだからやるべきだ」と言われました。

――その時期の経験で今に生かされていることはありますか。

 振り返ると、私の中では凄く辛い時期ではあったのですが、あのような時期を過ごしたからこそ私はメダルまでたどり着くことができたのだと思います。それに上手くいくことばかりだと、子供たちに何か伝えたくても、才能だからとか、金藤理絵だからだ、で片付けられてしまいます。苦しかったことは今の自分の武器になったと思います。
 

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