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【名馬列伝】“白い稲妻”の如く怒涛の連勝街道で頂点を掴んだタマモクロス。1歳違いの「芦毛の怪物」と運命の交錯へ<前編>

三好達彦

2023.08.01

天皇賞(春)でタマモクロス(中央)はGⅠ初制覇。手綱を握った南井騎手も初のビッグタイトルだった。写真:産経新聞社

 昭和の終焉が迫る1988年。中央競馬は2頭の芦毛馬の活躍に異様な盛り上がりを見せていた。1頭は公営・笠松競馬から移籍するなり重賞を勝ちまくる3歳のオグリキャップ。もう1頭は、こちらも前年からの連勝街道を突き進む4歳のタマモクロス。1歳違いの2頭は、オグリキャップ陣営のある手続きの不備から、秋になって激しく交錯する。

 今回は「芦毛対決」と言われながらも、比較的取り上げられることが少ないタマモクロスにスポットを当てて、その蹄跡を前編・後編の2回に分けて振り返ってみる。

 タマモクロスの父シービークロスは、戦前から競走馬生産を手掛ける名門で、のちに三冠馬のミスターシービーを送り出したことで知られる千明(ちぎら)牧場、その分場がある北海道浦河町で生まれた。冠号の「シービー」は千明牧場の頭文字、CとBから取られている。

 GⅠ級のレースこそ勝てなかったが、いつも必ず後方から鋭く追い込んでくるユニークなキャラクターと自身の毛色(芦毛)から「白い稲妻」という洒落た愛称が付けられるほどの人気馬だった。1979年の金杯(東)、毎日王冠、目黒記念(秋)と3つの重賞を制して現役を引退すると、彼の父フォルティノ(Fortino)が種牡馬として成功を収めたカロ(Caro)を輩出していることもあり、自身も1984年から北海道の新冠農協畜産センターで種牡馬入りすることになった。

 種付料は10万円と極めて安価に抑えられたものの、競走成績が他の種牡馬に比べて見劣りするため、交配相手を集めるのには苦労したという。それでも関係者の尽力の甲斐あって、初年度は50頭ほどの繁殖牝馬に種付けすることができた。

 すると初年度産駒のなかから、早くも重賞勝ち馬が現われた。それが、のちに芦毛の父と同じく「白い稲妻」と呼ばれるようになるタマモクロスである。
 
 体質が弱かったため、デビューは3歳の3月までずれ込んだタマモクロス。デビュー戦(芝2000m)を7着、2戦目(ダート1800m)を4着と連敗したあと、3戦目(ダート1700m)でようやく勝ち星を挙げた。

 ここから伸びるかと思いきや、次走(400万下、現・1勝クラス)の芝2000m戦で前の落馬事故に巻き込まれる形で自身も落馬して競走を中止。以後、馬込みを怖がるようになってしまい、次走の400万下は6着。力を出し切れないレースが続いた。

 それでも以降のダート戦を2着、3着、3着と健闘すると、再び芝のレースに戻った京都の平場戦(京都・芝2200m)で2着を7馬身も突き放して圧勝。いよいよ本格化したタマモクロスは、続く藤森特別(400万下、芝2000m)も2着を8馬身差で降すと、格上挑戦となる12月の鳴尾記念(GⅡ、阪神・芝2500m)でも53㎏の軽ハンデだったとはいえ、2着を6馬身も千切って完勝。ついに重賞タイトルを手に入れて、この年を締め括った。

 年を越しても、タマモクロスの勢いは止まらなかった。始動戦となったスポニチ賞金杯(GⅢ、京都・芝2000m)を後方一気の豪快な追い込みで重賞を連勝。続く阪神大賞典(GⅡ、阪神・芝3000m)は先行した3頭が鼻面を揃えて入線する激戦となったが、タマモクロスはダイナカーペンターと1着同着での優勝に持ち込み、メンタルのウィークポイントは持ちながらも、いざレースに行くと力を存分に発揮できるだけのたくましさを身に付けた。
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怒涛の強さでGⅠホースの仲間入り。一方、もう1頭の芦毛馬も快進撃