バレーボール

15年ぶりにバレー界へ復帰した名通訳。もう一つの顔は東日本大震災の「トモダチ作戦」に出動した女性予備自衛官

北野正樹

2023.09.16

阿部美奈子さんとアヴィタル・セリンジャー監督。写真:北野正樹

 女子バレーボールの世界に、懐かしい顔が戻って来た。

 阿部(旧姓花田)美奈子さん(60)。7月1日からV2女子の「ヴィクトリーナ姫路」の通訳兼マネジャーとして、15年ぶりにバレー界に復帰した。

 福岡県出身。日本女子体育大学でバレー選手として活動し、卒業後、米国に語学留学。在籍した大学バレー部の海外遠征先を探すため、日本の実業団チームに手紙を送ったところ、ダイエーから返事とともに、「通訳をしないか」とオファーがあった。当時のアリー・セリンジャー監督から直接、国際電話があり、バレー用語などのテストを受け合格したのが日本の実業団バレーに携わるきっかけ。

 1989年の大みそかに帰国し、翌日の元日から通訳を務めた。セリンジャー監督は84年ロサンゼルス五輪で米国女子監督として銀メダルに導き、92年バルセロナ五輪ではオランダ男子銀メダル獲得に貢献した名将。

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 日本でもダイエー監督の10年間でVリーグや黒鷲旗全日本選抜男女選手権などで6度優勝。2000年からはパイオニア監督に就任し、06年に退任するまで、Vリーグで2度の優勝を果たした。

 この間、阿部さんは再び語学留学をした2年間を除き、セリンジャー監督の通訳を務め、07-08年シーズンでパイオニアを退団した。

 米国で子供たちを対象にしたバレー教室を通じて習得したバレーに通じた語学力は高く、ベテランのバレー記者が今でも「専門的な内容でも、間髪を入れずに丁寧に通訳してくれるありがたい存在だった」と懐かしむ。

 今回、通訳として仕えるのは、アヴィタル・セリンジャー監督(64)。アリーさんの子息で、96年から3年間、父親のもとでダイエーのアシスタントコーチを務め、監督として2002年に久光製薬でVリーグ優勝。その後、オランダ女子代表監督として07年ワールドグランプリで優勝。今年8月、ヴィクトリーナ姫路の監督に就任した。

 一方、体育と英語の教員免許を持つ阿部さんは、08年にパイオニアを退団後、山形県天童市の中学校相談員や市教委で勤務していたが、球団関係者が「アヴィタル氏の通訳は、美奈子さんしかいない」と、関口博之ゼネラルマネジャー(GM)に進言。アヴィタル氏の要望もありバレー界復帰につながった。関口GMは「アヴィタル監督の力を100%出すためには、彼女の力が必要でした」と語る。

「『本当に私でいんですか』とアヴィタル監督には3度、尋ねました。親子2代の監督に通訳として仕えることが出来るのは、本当にすごいご縁というか、奇跡的なご縁だと思います」と阿部さん。

 初陣で9月2、3日に大阪で開催された「近畿6人制総合男女選手権」でチームを優勝に導いたアヴィタル監督は、「単に通訳をするだけでなく、バレーボールを理解していることが大事。本当に来てもらってよかった」と、阿部さんに感謝する。
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