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食と体調管理

「競争があって自分自身も成長できた」ノルディック複合元日本代表・荻原次晴のスキーへの想いと日々を支える食生活

松原孝臣

2024.02.05

 アスリートへのインタビューを通し、明日への一歩を応援する「Do My Best, Go!」。今回登場するのは、スキー・ノルディック複合で長野オリンピックに出場し入賞、世界選手権で団体金メダルを獲得するなど活躍を続けた荻原次晴さん。第一線で活躍した経緯、その土台となる食への意識、今後への思いなどを聞いた。

■スノーボードとの出会い、オリンピックを目指したきっかけ

――スキーを始めたきっかけを教えてください。

 3歳からスキーを始めましたが、ふるさとの草津にスキー場があり、うちの父も元スキー選手だったこと、姉が先にスキーを始めていたこと、身の回りにきっかけはたくさんありました。

――その後スキー・ジャンプを始め、中学生になるとノルディック複合を始めたそうですが。

 小学5年生のとき友達に誘われてスキー・ジャンプを始めました。最初は怖かったんですが、少しずつ楽しさと空を飛ぶ気持ちよさみたいなのを感じていきました。

 当時、草津ではスキー・ジャンプをやる子どもはクロスカントリースキーもやるのが当然のことだったんですね。たぶんコーチとしては、スキー・ジャンプでは北海道の子どもたちにかなわない、ノルディック複合なら良い勝負ができるのではないかという考えがあったのかなと思います。自分で選んだというよりも地域でそれをやるのが当たり前というような流れでした。
 
――中学生の頃から全国大会にも出て好成績も残していました。競技者として自分の未来をどう考えていたでしょうか。

 当時は自分がずっとスキー選手でやっていくとは考えたこともなかったですね。大人になったら、普通に働いて実家の金物屋さんを継ぐのかなと思っていました。

――競技を突き詰めていこうと思われたのはいつぐらいだったんでしょうか。

 すごく遅かったです。大学4年のときでした。当時、オリンピックの1992年フランスアルベールビル大会がありまして、兄の健司が団体戦で金メダルを獲ったんです。

 一躍日本のスポーツヒーローに踊り出て、国民の皆さんが健司の顔と名前を覚えてくれたと思います。我々は双子で顔がそっくりなものですから僕は一歩外へ出ると健司に間違えられてサインや写真撮影を求められました。でも「僕は健司じゃありません。双子の弟です」と言っても信じてもらえませんでした。

 弟と分かっても、「ちぇっ」とがっかりされてしまうこともあり、それがすごく嫌だったんですよね。ときには「嘘つくな」と言われたりして、弟だと正直に言っているのにがっかりされたり嘘つくなと言われるのがすごく悔しくて…。

 当時ちょっと自暴自棄になっていたときもありましたけれども、じゃあ自分に何ができるのかなって考えたときに、やっぱり自分にはスキーしかない。ずっとどんぐりの背比べでやってきた健司がオリンピックに出られたのなら、僕も本気になればオリンピック出られるかもしれないという気持ちになりました。

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