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食と体調管理

「悔しい経験をプラスに活かせるよう」なでしこジャパン・清水梨紗が挑む二度目の五輪。さらなる成長を支える食生活

サッカーダイジェスト編集部

2024.03.01

写真:サッカーダイジェスト

写真:サッカーダイジェスト

 アスリートへのインタビューを通し、明日への一歩を応援する「Do My Best, Go!」。今回登場するのは、サッカー女子日本代表の一員としてパリ五輪を目指す清水梨紗選手だ。2022年の夏からイングランドのウェストハムでプレーする“なでしこジャパン”不動の右SBが、海外生活やプロ選手としての矜持、食生活と身体づくり、今後の目標などを明かしてくれた。

■サッカーとの出会い、プロへの道

――サッカーをやり始めたきっかけは? 

 姉がやっていた影響です。最初は当時としては少し珍しい、関西の女子クラブからスタートしました。姉に付いて行って、一緒にプレーして、どんどんハマっていきました。その後、親の転勤で関東に引っ越しました。それまでもいろんな習い事をやっていましたが、東京でも唯一続けたいと思ったのがサッカーでした。

――12歳のころにベレーザ下部組織のメニーナに入団されました。同期には長谷川唯選手、籾木結花選手、土光真代選手らがいました。当時のチームの印象を教えてください。

 めちゃくちゃ強かったですね(笑)。みんな上手くて毎日が戦いでした。切磋琢磨し合った仲間です。同い年の選手とはすぐに溶け込めました。同時に、チームの最年長は高校3年の世代もいて、挨拶や礼儀など、人としても育ててもらいました。

――入団後にサイドハーフからSBにコンバートされました。どのように受け止められたのでしょうか?

 中学2年当時、寺谷(真弓監督)さんに進められたのがきっかけです。最初は訳も分からずやっていた部分もありますが、試合に出るチャンスも増えたので、ポジティブな気持ちでやっていました。
 
――その後、U-14、U-15と世代別の代表チームに選ばれ、U-17女子ワールドカップという国際舞台でも活躍されるなど早くから実績を残されました。そして、トップチームのベレーザへ昇格します。

 昇格当初はちょっと苦しい時期もありました。なでしこの中心選手たちもたくさんいるチームでしたから。伝統あるチームで、プレッシャーもありましたが、次第に自分もと、必死に喰らいついてプレーしていました。

――サッカー選手としての将来を思い描いたのはいつ頃のことだったのでしょうか?

 正確な時期はありません。プロになれるとも思っていませんでした。以前は、先輩選手たちもプロ選手としてやっていた方々はほとんどいませんでした。ですが、大学を卒業する時に、スポンサーの方からプロのお話を頂いて、自分もプロになれるんだと。そこから、サッカーに集中できる環境が整い、逆に言い訳できない状況にもなりました。

――当時のベレーザは2015年からリーグ5連覇だけでなく18年には国内三冠、19年にはAFCクラブ選手権も優勝されタイトル四冠を達成しました。

 タイトルを獲得できるようになって、自信も深まってきました。特に、2018年からの永田雅人監督時代には、戦術やサッカーのスタイルなど、とても刺激を受けました。考えてプレーするようになり、サッカーの見え方も大きく変わりました。
 

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