食と体調管理

「悔しさは時に一番役に立つパワーに」元アーティスティックスイミング日本代表・三井梨紗子が挑んだ2度の五輪。強さと美しさを支えた食習慣

矢内由美子

2024.04.02

 アスリートへのインタビューを通し、明日への一歩を応援する「Do My Best, Go!」。今回登場するのは2016年リオデジャネイロオリンピックのアーティスティックスイミングで、デュエットとチームの銅メダルに輝いた三井梨紗子さん。2012年ロンドンオリンピックにもチーム最年少の18歳で出場するなど、10代からトップで活躍した三井さんに、現役時代の苦労やジュニアへのアドバイスを聞いた。

■小学5年生で「エリート教育メンバー」に

――アーティスティックスイミングを始めた頃のことを教えてください。

 3歳の時に水泳を始めて、小学校3年生でアーティスティックスイミングに転向しました。最初に通っていたスイミングスクールでは4泳法(自由形、背泳ぎ、平泳ぎ、バタフライ)を泳げるようになって大会にも出たのですが、母の目にはあまり競争が得意ではないと映ったようです。

 当時はいろいろな習い事をしていて音楽やダンスも好きだったので、母がアーティスティックスイミングの体験会を見つけてくれて参加したのがきっかけです。

――どんなところが楽しかったですか?

 演技を作ることや自分を表現することですね。音楽に乗りながら表現を磨いていくところも魅力でした。

――小学校5年生の時に、全国から有望な選手を集めてアーティスティックスイミング選手を育成するための「エリート教育メンバー」に選ばれました。

 当時、小学校の3年生から6年生までが対象のオーディションがあって、合格すればJISS(国立スポーツ科学センター)でトレーニングができるという強化システムがありました。小学校4年生の時にも受けたのですが、その時は泳ぎが遅くて不合格。

 でも、運動能力部門だけはトップだったので、特別に1日だけJISSで体験会に参加させてもらったんです。JISSに行くとテレビに出ている日本代表の人が目の前にいて、私もいつかこんな風に格好良い人になりたいな、という感じでオリンピックを意識するようになり、翌年、2度目の挑戦で合格しました。
 
――その後はジュニアの日本代表を経て、高校2年生で日本代表に選ばれました。最年少だったので大変なこともあったのでは?

 自分は泳ぐことがあまり得意ではなく、体力もなくて、ジュニアで通用していたこともシニアでは通用しないことが山のようにありました。どうやって差を埋めれば良いのだろうと悩みながらも、先輩方に引っ張ってもらい、可愛がってもらいながら、気づいたら1、2年が経っていたという感じでした。


――ロンドンオリンピックにはチームに最年少で出場しました。どんな大会でしたか?

 オリンピックは自分にとってキラキラした夢でしたから、代表に入ったことは嬉しかったのですが、実際は先輩たちについていくのに必死でしたね。最年少だったので注目していただいた部分はあるのですが、チームでは補欠のような立ち位置。オリンピックの本番で泳げるかどうか分からないような序列で、がむしゃらに練習していました。

――結果的にはテクニカルーティンとフリールーティンの両方とも泳ぐことができ、順位は5位入賞でした。

 メダルを獲れなかったのでもちろん悔しい思いがあったのですが、私の口から「悔しい」と言うのも申し訳ないくらい何も貢献できませんでした。あっという間に夢の舞台が終わって「オリンピックって何だったんだろう」という感じでした。