食と体調管理

「金メダルを獲ることが小さい時からの夢」パリを目指す体操・谷川航が抱くメダルへの思いと強靭な体を支える日々の食生活

矢内由美子

2024.05.01

 アスリートへのインタビューを通し、明日への一歩を応援する「Do My Best, Go!」。今回登場するのは、体操の日本代表として東京オリンピックに出場し、男子団体総合銀メダルに輝いた谷川航選手。体操競技への思いやジュニアアスリートへのアドバイスなどを語ってくれた。

■弟の翔選手とともに体操をはじめる

―体操競技を始めたきっかけを教えてもらえますか?

 子どもの頃に通っていた幼稚園(健伸幼稚園)に体操クラブ(健伸スポーツクラブ)があったことです。幼稚園の時から体操の時間にクラブの先生に教えてもらい、小学校入学と同時にそのクラブに入りました。

 体操だけじゃなく、外で遊んだり体を動かしたりするのが好きでした。飛んだり、逆上がりをしたり、鉄棒にぶら下がってる時間競争のような遊びも得意でしたね。負けず嫌いなところもあるので、勝ちたいなという気持ちもあったと思います。

―弟の翔(かける)選手も体操選手です。子どもの頃はどんな兄弟でしたか?

 翔は僕の2歳下です。子どもの時に同時に何かをやればもちろん年上の僕が勝つのですが、自分が2年前に翔と同じようなことを出来ていたかなと考えると、いつも翔が先を越していた気がします。

 翔はまだ1年生になってない時から、僕の体操の迎えに母と一緒に来て先生に補助されながら体操をしていましたから、スタートが早かったんです。近くで僕のことも見ているから、どんどん色々なことを出来るようになっていましたよ。



―体操以外の習い事はやっていましたか?

 水泳教室やアクションスクールにも通っていたので週7日、休みの日はなかったです。水泳の日は泳いだ後に体操クラブに行っていました。

―中学3年生まで健伸スポーツクラブで、高校は市立船橋高校へ進みました。練習時間や 取り組み方に変化はありましたか?

 中学3年生までは練習時間がすごく長くて、平日は夕方4時半から夜10時まで。休みの日は午前10時から夜6時、7時までやっていました。高校では短い時間の中で効率よく練習することを覚えていきました。

 中学校までは先生に言われたことをそのままやっているだけだったのですが、高校に入ってからはある程度自分で考えて、その中で必要なことだけを先生に教えてもらうようになったのです。自分で練習メニューを作っていくことを考え始めたのも高校時代です。