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【名馬列伝】“幻の三冠馬”フジキセキ。4戦4勝でターフ去るも、父サンデーサイレンス繁栄の一端を担った太く短い生涯

三好達彦

2024.06.09

94年朝日杯3歳Sの覇者で、種牡馬としても多くの名馬を送り出したフジキセキ。写真:産経新聞社

 日本ダービー、ジャパンカップを制したジャングルポケットをはじめ、ヒシミラクル(菊花賞、天皇賞(春)、宝塚記念)、ノースフライト(安田記念、マイルチャンピオンシップ)、ヒシアケボノ(スプリンターズステークス)、シスタートウショウ(桜花賞)など、数々のGⅠウィナーの手綱を取った角田晃一(現調教師)が、「ジャングルポケットと比べて、どちらが強かったか?」と問われた際、彼が躊躇なく挙げた馬の名前は「フジキセキ」だった。

 朝日杯3歳ステークスを制してはいるが、GⅠタイトルは、このひとつのみ。わずか4戦で引退してしまったフジキセキが、実際に手綱を握った騎手からビッグタイトルを二つも持つジャングルポケットより強いと評価され、多くのマスコミや競馬ファンも疑うことなく角田のコメントを受け入れた。それだけ、フジキセキがターフに刻んだインパクトは鮮烈なものだった。
 
 1994年。夏から秋へかけての話題は、産駒デビューの初年度から次々と勝ち馬を送り出していた1頭の種牡馬、サンデーサイレンスの話題で持ち切りだった。

 89年の米三冠レースのうちの二つ、ケンタッキーダービーとプリークネスステークスを制し、秋には古馬の強豪をねじ伏せてブリーダーズカップ・クラシックも圧勝。同年のエクリプス賞年度代表馬に選出された米競馬史上に残る名馬。それが、サンデーサイレンスである。

 社台グループの創始者、吉田善哉の尽力によって、掛け値なしの米最強馬が種牡馬活動を日本でスタートするという壮挙は喝采をもって迎えられた。同時に花嫁には、サンデーサイレンスの格に見合う実績、血統、もしくはその両方を持ち合わせた選りすぐりの牝馬が用意された。フジキセキの母ミルレーサー(父Le Fabuleux)は名牝揃いの交配相手のなかでは傑出していたとは言い難かったが、産み出した仔の能力はデビュー前のトレーニングに携わった牧場スタッフが口を揃えて絶賛するほどに高かった。

 それに加えてスタッフの間では、初年度産駒の中でも稀な父と同じ「青鹿毛」の毛色をまとって生を受けたことも、親譲りのハイスペックな能力の伝播を期待させる一因として口の端に上っていたというのも興味深い。
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衝撃的なデビュー戦。翌年のダービー馬を一蹴する超絶スピード