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競馬

【名馬列伝】異国の地で星になった「砂の女王」。交流重賞の黎明期を彩った“一等星”ホクトベガの激闘譜

三好達彦

2024.07.09

「砂の女王」として記録にも記憶にも残るホクトベガ。写真:産経新聞社

「砂の女王」として記録にも記憶にも残るホクトベガ。写真:産経新聞社

 苦心した末に芝で頂点に立ち、転じたダート戦線で高みを極め、不運にも中東の砂に消えた名牝がいた。今も伝説の名馬として語り継がれるのが、「砂の女王」と呼ばれたホクトベガだ。

 1993年の牝馬クラシック戦線には2頭の輝く「織女星(ベガ)」がいた。ベガとホクトベガである。

 ベガは北海道・早来町の社台ファーム早来(現・ノーザンファーム)で生まれた。父は新種牡馬のトニービン、母アンティックヴァリューはノーザンダンサー(Northern Dancer)直仔という良血馬だった。能力の高さには文句の付けようがなかったが、母と同様に左前肢のひどい内向があり、一時は「競走馬にはなれないかもしれない」と言われたほど。しかし、トレセンや民間牧場に導入されたクッションのいいウッドチップ馬場に救われて、競走生活に入ることができた。しかし現役の間、常に調教で強い負荷がかけられないという弱点には悩まされ続ける。

 一方のホクトベガは、父のナグルスキーがG3を1勝のみと競走成績は優れなかったが、ノーザンダンサー直仔ということで重宝され、ナリタハヤブサ(ウインターステークス・GⅢ)などコンスタントにダートでの活躍馬を出していた。母のタケノファルコン(父フィリップオブスペイン)は未勝利馬だが、兄と姉は現役時代に2勝を挙げて、まずまずの成績を残していたが、大きな望みをかけられるような存在ではなかった。
 
 春季の牝馬クラシック二冠はベガの独壇場となった。

 フラワーカップ(GⅢ)を勝って桜花賞(GⅠ)臨んだホクトベガ。しかし、折り返しの新馬戦から圧勝続きでチューリップ賞(GⅢ)をステップに参戦したベガから0秒5差離された5着に敗退。続くオークス(GⅠ)でもベガの圧勝劇の前に遠く叶わず、0秒9差の6着に敗れた。力の差を見せつけられた格好だった。

 夏の休養を経たホクトベガは、秋に復帰してのプレップレース、クイーンステークス(GⅢ)を2着、ローズステークス(GⅡ)を3着として本番へと向かう。対するベガには不安点があった。脚部不安のために調整が遅れ、エリザベス女王杯(GⅠ、3歳限定)には”ぶっつけ”での参戦になってしまったのだ。ちなみに、人気もローズステークスを勝った上がり馬、スターバレリーナに次ぐ2番人気に甘んじた。

 ハイペースになったエリザベス女王杯で、9番人気に急落したホクトベガはいつものように先行せず、中団で脚を溜める策に出た。この待機策が功を奏する。のちに「マイルの女王」になるノースフライトとベガが抜け出すが、馬群から内をすくったホクトベガは前の2頭を鋭く差すと、追いすがるノースフライトを振り切ってレースレコードで”最後の一冠”を射止めたのである。

 このとき関西テレビのアナウンサー、馬場鉄志の実況が名セリフとして知られている。

「ベガはベガでもホクトベガです! 勝ったのはホクトベガ。東の一等星、ホクトベガ。輝いたのは北斗のベガです!」
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