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格闘技・プロレス

【追悼】爆弾小僧、暗闇の虎に続いて初代タイガーマスクのライバルがまた一人…虎ハンター小林邦昭さん死去

どら増田

2024.09.12

今月9日に亡くなった小林邦昭さん。11日の仙台サンプラザホール大会で追悼セレモニーが行なわれた。写真:新日本プロレスリング

今月9日に亡くなった小林邦昭さん。11日の仙台サンプラザホール大会で追悼セレモニーが行なわれた。写真:新日本プロレスリング

 新日本プロレスは、OBで引退後は道場の管理人を務めていた小林邦昭さんが9日に逝去したと発表した。享年68。晩年は元気な姿を見せつつも度重なる癌の再発に悩まされていた。新日本では9.11宮城・仙台サンプラザホール大会の試合前に、追悼の10カウントゴングセレモニーが行なわれた。

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 小林さんは初代タイガーマスク(佐山サトル)の好敵手として1980年代の新日本ジュニアブームを牽引。毎試合のようにタイガーのマスクを引き裂くことから“虎ハンター”という異名がつけられた。コスチュームの赤いパンタロンは当時斬新で、途中白黒のショートタイツにした時期もあったが、後に初代タイガーもパンタロンスタイルにしており、小林さんはパンタロンスタイルの先駆者と言っていいだろう。また必殺技のフィッシャーマンズスープレックスは、今でも男女ともに使う選手がたくさんいるだけではなく、フィッシャーマンズバスターなどアレンジした技も開発されている。

 若手時代は新幹線の食堂車にある食べ物を食べ尽くしたと言われる「新幹線食堂車伝説」が有名。かなりの大食漢かつグルメだったことから、道場で作るちゃんこには後輩たちにも定評があった。ジュニアでタイガーと抗争中の時期にはヘビー級で藤波辰巳(辰爾)と抗争していた長州力さんと行動をともにして、マサ斎藤さん、アニマル浜口さん、キラー・カーンさん、谷津嘉章、同じくジュニアの寺西勇さんとともに維新軍団を結成。新日本正規軍との全面対決にも乗り出している。

 長州さんからは「サンペイちゃん」と呼ばれていた。初代タイガーが1983年に電撃引退をすると、ザ・コブラ、ヒロ斎藤、ダイナマイト・キッド、ブラックタイガーらとジュニア戦線の中心に居続けたが、ジュニアのタイトル奪取はならず。1984年秋に長州さんらとともにジャパンプロレスを設立し、闘いの場を全日本プロレスに移す。全日本でもジュニアのエース格になると2代目タイガーマスク(三沢光晴さん)から3カウントを奪うなど、虎ハンターとして活躍。1985年にはキッドを破りNWAインターナショナルジュニア王座、1986年にはヒロを破り世界ジュニアヘビー級王座を奪取するも、1987年には長州さんらとともに新日本へUターン。

 新日本に戻ると越中詩郎からIWGPジュニアヘビー級王座を奪取。意外にもこれが新日本で初のタイトルだった。同王座はジャパン時代からの後輩である馳浩さんに奪われてしまうが、1989年には初の東京ドーム大会で、獣神ライガー(後の獣神サンダー・ライガー)さんのデビュー戦の相手を務めた。そこからしばらく目立った活躍がなかったが、1991年に青柳政司さんが館長を務めた誠心会館との抗争がぼっ発。かねてより「喧嘩に強い」と言われていた小林さんは、越中とともに圧倒的な強さを発揮した。
 
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