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食と体調管理

「楽しいという気持ちを忘れないで欲しい」東京に続きパリでも金メダルに輝いたフェンシング・加納虹輝が語る競技への取り組み方と日々を支える食習慣

矢内由美子

2025.01.06

写真:GettyImages

写真:GettyImages

 アスリートへのインタビューを通し、明日への一歩を応援する「Do My Best, Go!」。今回はフェンシング男子エペの日本代表としてパリ五輪に出場し、個人で金メダル、団体で銀メダルに輝いた加納虹輝さんが登場。競技人生や食事について語ってもらった。

――フェンシングを始めたきっかけを教えていただけますか。

 小学校6年生の時に北京五輪の太田雄貴さん(男子フルーレ個人銀メダル)を見たのがきっかけです。それまでは体操をやっていました。小学校2年生から選手コースに入って週6日、ガッツリやっていたのですが、ケガが多かったこともあって違う競技のことを考えていたタイミングでした。

―体操で培ってきた技術などでフェンシングに活かされているものはありますか。

 体幹の強さは今でも活きていると感じることが多いです。

――フェンシングのどんなところに惹かれたのですか?

 対人競技をやりたいなと思っていたのと、道具を使うところが格好いいと感じましたね。
 
―近くにフェンシングを習える環境があったのですか。

 家から車で1時間ぐらいのところにありました。結構、遠いのですが、小学生のうちは週1日しか練習がなかったので、親に連れて行ってもらっていました。

 中学2年生になってからは近くの体育館を借りて個人的に先生に教えてもらうようになりましたが、それでも週3日くらい。中学2、3年生まではほとんど1回戦負けばかりでした。

―地元の中学を卒業した後、実家を離れて山口県の岩国工業高校に入学。大きな決断だったのでは?

 純粋に「勝ちたい」「上手くなりたい」という思いでしたね。

―行ってみてどうでしたか?

 ホームシックはまったくなくて、一人でフェンシングに集中できるのがうれしかったです。ただ、練習が週2、3日からいきなり週7日になったので、それはかなりきつかったです。でもフェンシングのためだと決心していたのでそこは耐えられました。

―ご両親からはどのような影響を受けて育ったんですか?

 体操を始めた時もそうでしたが、うちは「これをやりたい」と言った時に親が反対することが少なかったです。その代わりしっかりやり抜きなさいと。父は厳しくて、「一切手を抜くな」という感じでした。
 

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