中央競馬と地方競馬がその垣根を低くし、ダート競馬で「ダートグレード競走」(当時は「統一グレード」「交流重賞」とも呼ばれた)による交流に踏み切ったのが1995年のこと。その草創期、果敢にこの世界へ足を踏み入れると圧倒的な能力で連戦連勝を果たし、牡馬の強豪を次々になぎ倒して、「ダート女王」の称号を欲しいままにするスーパーホースがいた。織女星から名を取ったホクトベガが、その馬である。
英三冠馬ニジンスキー(Nijinsky)の直仔であるナグルスキーを父とし、母にタケノファルコン(父フィリップオブスペイン)を持つホクトベガは1990年の3月26日、北海道・浦河町の酒井牧場で生まれた。
幼駒の時代から牝馬としては馬体が大きいことから、仕上がりが遅れて3歳1月の新馬戦(中山・ダート1200m)でようやくデビューを迎えた。ここで2着に9馬身(1秒5)差を付けて逃げ切るという衝撃的なレースで勝利を飾ると、500万下(現1勝クラス)の朱竹賞(中山・ダート1800m)を2着としたあと、カトレア賞(500万下、東京・ダート1600m)を圧勝。クラシックを狙わせるため陣営は芝路線への矛先を向けると、次走のフラワーカップ(GⅢ、中山・芝1800m)を先行策から差し切って快勝し、目論見通りにクラシック戦線へと名乗りを上げる。
しかし桜花賞(GⅠ、阪神・芝1600m)が5着、オークス(GⅠ、東京・芝2400m)が6着と、両レースともに織女星を名に持つベガに敗れ、クラシックの厳しさを思い知らされる結果となった。
夏の休養を経たホクトベガは、10月のクイーンステークス(GⅢ、中山・芝2000m)から始動。ここを2着とし、続くローズステークス(GⅡ、京都・芝2000m)を3着とし、牝馬三冠の最終戦・エリザベス女王杯(GⅠ、京都・芝2400m)へと進む。
すると、彼女はこのレースで目を見張るような走りを見せる。先行を常とした芝のレースをしながら、中団の後ろ目でインコースにポジションをとって直線へ向くと、内ラチ沿いを強襲。先に抜け出したノースフライトを差し切り、外から追う二冠のベガを抑え切って見事に勝利を収めたのだ。このときのテレビ実況で、アナウンサーの馬場鉄志(当時は関西テレビ)が発した「ベガはベガでも、ホクトベガ!」のフレーズは名台詞としてファンの記憶に刻まれている。
英三冠馬ニジンスキー(Nijinsky)の直仔であるナグルスキーを父とし、母にタケノファルコン(父フィリップオブスペイン)を持つホクトベガは1990年の3月26日、北海道・浦河町の酒井牧場で生まれた。
幼駒の時代から牝馬としては馬体が大きいことから、仕上がりが遅れて3歳1月の新馬戦(中山・ダート1200m)でようやくデビューを迎えた。ここで2着に9馬身(1秒5)差を付けて逃げ切るという衝撃的なレースで勝利を飾ると、500万下(現1勝クラス)の朱竹賞(中山・ダート1800m)を2着としたあと、カトレア賞(500万下、東京・ダート1600m)を圧勝。クラシックを狙わせるため陣営は芝路線への矛先を向けると、次走のフラワーカップ(GⅢ、中山・芝1800m)を先行策から差し切って快勝し、目論見通りにクラシック戦線へと名乗りを上げる。
しかし桜花賞(GⅠ、阪神・芝1600m)が5着、オークス(GⅠ、東京・芝2400m)が6着と、両レースともに織女星を名に持つベガに敗れ、クラシックの厳しさを思い知らされる結果となった。
夏の休養を経たホクトベガは、10月のクイーンステークス(GⅢ、中山・芝2000m)から始動。ここを2着とし、続くローズステークス(GⅡ、京都・芝2000m)を3着とし、牝馬三冠の最終戦・エリザベス女王杯(GⅠ、京都・芝2400m)へと進む。
すると、彼女はこのレースで目を見張るような走りを見せる。先行を常とした芝のレースをしながら、中団の後ろ目でインコースにポジションをとって直線へ向くと、内ラチ沿いを強襲。先に抜け出したノースフライトを差し切り、外から追う二冠のベガを抑え切って見事に勝利を収めたのだ。このときのテレビ実況で、アナウンサーの馬場鉄志(当時は関西テレビ)が発した「ベガはベガでも、ホクトベガ!」のフレーズは名台詞としてファンの記憶に刻まれている。
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