2015年の安田記念、マイルチャンピオンシップ、香港マイル、2016年のチャンピオンズマイル、天皇賞(秋)、香港カップと、GⅠレース6勝を挙げ、2015年度のJRA賞年度代表馬に輝いたモーリス。この稀有な優駿の血統、ことに母系には現代日本の競走馬生産におけるエッセンスが詰まっている。
母メジロフランシスという名前で分かるように、モーリスを生んだ牝系は、いまはなき名門・メジロ牧場が大切に育てた血統である。5代母のメジロクインを祖とし、重賞3勝でオークス2着のメジロボサツ、メジロクインシー、重賞4勝のメジロモントレー、メジロフランシスと血が繋がれてきた。この牝系からはモーリスのほかに、オークス、秋華賞、エリザベス女王杯とGⅠレースを3勝したメジロドーベル、中山グランドジャンプを制したメジロファラオも輩出している。
そして、この母系をさらにさかのぼると、8代母にデヴオーニアという名前が出てくる。この馬は、社台ファームの創設者である吉田善哉の父、善助が1929年にアメリカから繁殖用に輸入した牝馬。それが、第七デヴオーニアを経てメジロクインへと繋がり、メジロ牧場の基礎牝馬になったのである。
メジロ牧場は成績不振と有珠山の噴火という不運も重なって2011年に解散。それに先立って知己の牧場に一部の繁殖牝馬が譲渡されていたが、そのなかに戸川牧場(北海道・日高町)に繋養先を移したメジロフランシスが含まれていた。そこで彼女が産んだのが、父に2008年のジャパンカップ(GⅠ)を制したスクリーンヒーローを持つモーリスだった。
のちのモーリスは、1歳のときに日高軽種馬農協主催のサマーセールにおいて、コンサイナー(競走馬のトレーニングや仕上げを施す業者)が157万5000円(税別)で落札。翌2013年の北海道トレーニングセールに上場されると、公開調教でラスト2ハロン21秒8という最速時計を叩き出したことが高い評価を受け、ノーザンファームに1050万円で落札された。つまり、吉田善助が1929年にデヴオーニアを輸入してから80年以上の時を経て、再びその血統に連なる馬が、日本の競走馬生産で最大規模となった社台グループを切り回す吉田一族のもとへと戻ってきたのである。
奥手の馬が多かったメジロの血脈に連なるからでもないだろうが、モーリスは晩成の馬だった。ノーザンファーム代表、吉田勝己の妻である和美の所有馬として、2歳の10月に栗東の吉田直弘厩舎からデビュー。新馬戦と500万下特別(現1勝クラス)を勝ったものの、3歳は4戦して未勝利のまま5月から休養に入る。その間に美浦の堀宣行厩舎へ転厩し、再起を期すことになった。
十分な休養で疲労を取り、成長を促した甲斐があり、4歳になったモーリスは一気に覚醒する。1月の1000万下特別(現2勝クラス)、3月の1600万下特別(現3勝クラス)を、いずれも出遅れながら強烈な追い込みで制してオープン入り。続くダービー卿チャレンジトロフィー(GⅢ)も直線13番手から豪脚を繰り出し、2着を3馬身半差で突き放す圧勝で重賞初制覇を達成した。
母メジロフランシスという名前で分かるように、モーリスを生んだ牝系は、いまはなき名門・メジロ牧場が大切に育てた血統である。5代母のメジロクインを祖とし、重賞3勝でオークス2着のメジロボサツ、メジロクインシー、重賞4勝のメジロモントレー、メジロフランシスと血が繋がれてきた。この牝系からはモーリスのほかに、オークス、秋華賞、エリザベス女王杯とGⅠレースを3勝したメジロドーベル、中山グランドジャンプを制したメジロファラオも輩出している。
そして、この母系をさらにさかのぼると、8代母にデヴオーニアという名前が出てくる。この馬は、社台ファームの創設者である吉田善哉の父、善助が1929年にアメリカから繁殖用に輸入した牝馬。それが、第七デヴオーニアを経てメジロクインへと繋がり、メジロ牧場の基礎牝馬になったのである。
メジロ牧場は成績不振と有珠山の噴火という不運も重なって2011年に解散。それに先立って知己の牧場に一部の繁殖牝馬が譲渡されていたが、そのなかに戸川牧場(北海道・日高町)に繋養先を移したメジロフランシスが含まれていた。そこで彼女が産んだのが、父に2008年のジャパンカップ(GⅠ)を制したスクリーンヒーローを持つモーリスだった。
のちのモーリスは、1歳のときに日高軽種馬農協主催のサマーセールにおいて、コンサイナー(競走馬のトレーニングや仕上げを施す業者)が157万5000円(税別)で落札。翌2013年の北海道トレーニングセールに上場されると、公開調教でラスト2ハロン21秒8という最速時計を叩き出したことが高い評価を受け、ノーザンファームに1050万円で落札された。つまり、吉田善助が1929年にデヴオーニアを輸入してから80年以上の時を経て、再びその血統に連なる馬が、日本の競走馬生産で最大規模となった社台グループを切り回す吉田一族のもとへと戻ってきたのである。
奥手の馬が多かったメジロの血脈に連なるからでもないだろうが、モーリスは晩成の馬だった。ノーザンファーム代表、吉田勝己の妻である和美の所有馬として、2歳の10月に栗東の吉田直弘厩舎からデビュー。新馬戦と500万下特別(現1勝クラス)を勝ったものの、3歳は4戦して未勝利のまま5月から休養に入る。その間に美浦の堀宣行厩舎へ転厩し、再起を期すことになった。
十分な休養で疲労を取り、成長を促した甲斐があり、4歳になったモーリスは一気に覚醒する。1月の1000万下特別(現2勝クラス)、3月の1600万下特別(現3勝クラス)を、いずれも出遅れながら強烈な追い込みで制してオープン入り。続くダービー卿チャレンジトロフィー(GⅢ)も直線13番手から豪脚を繰り出し、2着を3馬身半差で突き放す圧勝で重賞初制覇を達成した。
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