大物オーナーとして一時代を画した近藤利一に日本ダービーのタイトルをもたらし、武豊の史上初となるダービー連覇という快挙達成をアシストしたアドマイヤベガ。彼の短い競走生活、また馬生はいくつかのエピソードに彩られている。
アドマイヤベガを語るうえで、その血統に触れないわけにはいかない。
父は日本競馬史上最高の種牡馬となったサンデーサイレンス。母は1993年の牝馬クラシック二冠を制したベガ(その父は凱旋門賞馬トニービン)。ケチの付けようがない良血馬だが、アドマイヤベガは母のフィジカルなウィークポイントを受け継いでいた。
ベガは母アンティークヴァリューの遺伝的形質をもって、左前肢が極端に内向(内側へ曲がること)していた。そのため、牧場で調教を始めるとたびたび傷みが出て、順調には進まなかった。場合によってはデビューできないのではないかという見方もあったという。
そうした弱点を持ったベガを救ったのは、栗東トレセンに設置された調教用の坂路コースだった。坂路は平地ほど強く追わなくてもトレーニング効果が上がるうえ、その路面にクッション性に富むウッドチップが敷き詰められ、脚部への負担が小さく済んだ。これが内向のあるベガの脚を持たせ、競走生活に送り出すことを可能にしたのである。
その甲斐あって、ベガはデビュー戦こそ2着に取りこぼしたものの、2戦目からは4連勝で桜花賞、オークスを制覇。足元に爆弾を抱えながらの調整で、陣営の苦労は尽きなかったが、JRA史上9頭目の快挙を達成した。いささか大げさではあるものの、また彼女の傑出した能力があってこそでもあるが、ウッドチップが敷かれた坂路コースが彼女を牝馬クラシック二冠馬に押し上げたとも言える。
このベガにほれ込んだ馬主がいた。所有馬の質を急激に上げていた関西きっての大物オーナー、近藤利一であった。彼は桜花賞の当日、「ベガを譲ってくれないか」と吉田勝己(現ノーザンファーム代表)に頼み込んだという。ベガの所有者が吉田和子(吉田勝己の母)だったこともあって、その申し出は断ったが、近藤は「それならば、(繁殖に上がったら)ベガの仔を売ってほしい」と頼み込んだという。
繁殖入りした1995年、サンデーサイレンスの仔を宿したベガ。その初子の牡馬は、たっての希望によって近藤に売却され、ひとつ年上のサンデーサイレンス産駒、サイレンススズカを管理している栗東の橋田満厩舎へ預託。名は冠号と母名をつなげてアドマイヤベガとされた。
アドマイヤベガを語るうえで、その血統に触れないわけにはいかない。
父は日本競馬史上最高の種牡馬となったサンデーサイレンス。母は1993年の牝馬クラシック二冠を制したベガ(その父は凱旋門賞馬トニービン)。ケチの付けようがない良血馬だが、アドマイヤベガは母のフィジカルなウィークポイントを受け継いでいた。
ベガは母アンティークヴァリューの遺伝的形質をもって、左前肢が極端に内向(内側へ曲がること)していた。そのため、牧場で調教を始めるとたびたび傷みが出て、順調には進まなかった。場合によってはデビューできないのではないかという見方もあったという。
そうした弱点を持ったベガを救ったのは、栗東トレセンに設置された調教用の坂路コースだった。坂路は平地ほど強く追わなくてもトレーニング効果が上がるうえ、その路面にクッション性に富むウッドチップが敷き詰められ、脚部への負担が小さく済んだ。これが内向のあるベガの脚を持たせ、競走生活に送り出すことを可能にしたのである。
その甲斐あって、ベガはデビュー戦こそ2着に取りこぼしたものの、2戦目からは4連勝で桜花賞、オークスを制覇。足元に爆弾を抱えながらの調整で、陣営の苦労は尽きなかったが、JRA史上9頭目の快挙を達成した。いささか大げさではあるものの、また彼女の傑出した能力があってこそでもあるが、ウッドチップが敷かれた坂路コースが彼女を牝馬クラシック二冠馬に押し上げたとも言える。
このベガにほれ込んだ馬主がいた。所有馬の質を急激に上げていた関西きっての大物オーナー、近藤利一であった。彼は桜花賞の当日、「ベガを譲ってくれないか」と吉田勝己(現ノーザンファーム代表)に頼み込んだという。ベガの所有者が吉田和子(吉田勝己の母)だったこともあって、その申し出は断ったが、近藤は「それならば、(繁殖に上がったら)ベガの仔を売ってほしい」と頼み込んだという。
繁殖入りした1995年、サンデーサイレンスの仔を宿したベガ。その初子の牡馬は、たっての希望によって近藤に売却され、ひとつ年上のサンデーサイレンス産駒、サイレンススズカを管理している栗東の橋田満厩舎へ預託。名は冠号と母名をつなげてアドマイヤベガとされた。