競馬

【名馬列伝】名門牧場の名を継いだシンボリクリスエス。国内外の名手を背に主役を張った藤沢和雄厩舎を代表する漆黒の傑作

三好達彦

2025.03.25

有馬記念を連覇したシンボリクリスエス。レース史上最大着差となる9馬身差で完勝した。写真:産経新聞社

 2000年代の初頭、長く関東の競馬サークルをけん引した藤沢和雄調教師が相次いで中距離の名馬を送り出した。1頭は2004年のJRA賞年度代表馬となったゼンノロブロイ。そしてもう1頭がそれに先駆けて2002年、03年と2年連続して年度代表馬に輝いた駿馬、本稿で取り上げるシンボリクリスエスである。

 日本の競馬界を席巻した"皇帝"シンボリルドルフ、スピードシンボリ、シリウスシンボリなどの名馬を送り出した和田共弘が死去したのち、日本を代表する名門シンボリ牧場は子息の孝弘が受け継いだ。
【動画】現役ラストランで生涯最高のパフォーマンスを披露したシンボリクリスエスの伝説レース

 和田孝弘は父が頑なにこだわった欧州重視のスタイルを柔軟に変更。米国で繁殖牝馬を所有し、当地の牧場に預託する形で生産を行なっていた。ティーケイ(Tee Kay、父Gold Meridian)もそうしたなかの1頭で、1998年の繁殖牝馬セールにおいて購入。そのとき受胎していたクリスエス(Kris.S.)の仔は預託先であるケンタッキーのミルリッジファームで生まれ、売却を目指して1歳のセリに上場。しかし、そこで付いた値が売主の和田が設定した希望最低価格の40万ドルに少し届かなかったため"主取"となり、のちに日本へと輸入される。この牡駒こそがシンボリクリスエスだった。
 
 シンボリクリスエスは藤沢和雄厩舎に預けられるが、藤沢とシンボリ牧場の関係は長いものだった。藤沢が調教師になる前、調教助手として野平祐二の厩舎に所属していた。野平と和田共弘は、スピードシンボリで欧州を転戦するなど盟友と呼ばれた仲で、シンボリルドルフは両者が手を携えて育てた傑作だった。そしてルドルフが野平厩舎に在厩していた時期が、藤沢が調教助手として所属していた時期と重なっており、2歳時には藤沢がルドルフに騎乗することもあった。

 これは余談だが、筆者は幸運にも晩年の野平祐二と会話する機会にたびたび恵まれた。そのやりとりでシンボリルドルフの話が出るたびに、野平は決まって「乗っていてルドルフに落とされたのは藤沢だけなんです。最近は偉そうなことを言っていますが、そんな格好悪いこともあったのを藤沢によく伝えておいてください」と愉快そうに口にし、悪戯っぽい笑みを浮かべていたのが印象に残る。

 藤沢は和田孝弘から父にエーピーインディ(A.P.Indy)を持つ米国産のシンボリインディ(1996年生、牡)を預かって1999年のNHKマイルカップ(GⅠ)を制し、不運にも悲劇的な最期を迎えたものの、一定の成功を収めて良好な関係を築いていた。そして、シンボリインディに次ぐ形で厩舎に入ったのが1999年生まれのシンボリクリスエスである。
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