――なるほど。では、3つ目のターニングポイントは?
2016年夏の海外移籍ですね。僕は広島で2015年から活躍し始めて、その年のE-1選手権で日本代表になれましたが、その頃には海外へ行くという考えがすでに自分の中でにありました。
でも、自分はまだ広島で何も成し遂げていないという思いもあって、代理人や家族にも相談しましたが、やっぱり正解は自分の中にしかない。
悩んでいたタイミングで、欧州組も含めた日本代表合宿に初めて参加することになり、ウォーミングアップのジョギングをしていた時に香川真司さん(C大阪)から「お前、海外来るの?」と声をかけられました。移籍を迷っていることを真司さんに伝えると「え、迷う必要ないやん」とあっさり言われて、笑顔で「ウエルカム・トゥ・ジャーマニー」と僕に握手を求めてきたんです。その瞬間、この握手をしたら俺はもう絶対ドイツに行くだろうなと思いましたね。
――香川選手との握手で決心が高まったと。
真司さんから握手を求められた瞬間は、うわっ!どうしようという感情が湧きましたけど、気がついたらパッと手を出して握り返していました。それで代理人に移籍しますと電話したのがその日でした。ようやく決心がつきましたね。俺にとってはそれまでの人生で考えたこともないくらいの大きな悩みだったのに、彼はジョギングしながら笑顔で「ウエルカム・トゥ・ジャーマニー」と軽く言えるわけですからね。自分もこのレベルにならなあかんなと強く感じたんです。
――こうしてドイツ行きを決めた浅野選手ですが、アーセナルからビッグオファーが舞い込みました。
そうなんです。ドイツ行きを代理人に伝えたあとにアーセナルから話が来た。それが4つ目のターニングポイントでした。今だったら迷わずにアーセナルへ行けよって思いますけど、その時も活躍できるのはどっちなのか、成長に繋がるのはどっちなのかと考え続けているうちに、ドイツのクラブとの契約日が迫ってきたんです。
アーセナルからオファーが来た日にまず家族、次に広島で一番お世話になった水本裕貴さん(現相模原コーチ)に電話すると「最後は拓磨が自分で決めることなんじゃないかな」と言ってくれて、自分で決めることだよなと思いながらも時間はどんどん迫ってくる。そんなタイミングで森保さんとも話をすることができたんです。森保さんから「拓磨のファンの一人としては拓磨がアーセナルのスタジアムに立っている姿を見てみたいな」という言葉をもらった瞬間にアーセナルに行こうと心が決まりました。
――恩師の森保さんが背中を押してくれたと。
森保さんの言葉だけではなくて自分を応援してくれている人がサッカー選手としてどんな姿を見たいかをイメージした時、それならアーセナルだろうと感じたんです。サッカー選手をやっている意味ってこれだなとすごく思えたし、チャレンジして失敗したらしゃあないわっていうくらいの気持ちになれた。森保さんとの話が終わった瞬間にすぐ代理人に電話してアーセナルに行きますと伝えたら、「よかった」と言われました。それは僕のお母さんも同じだった。「もうホントによかった。アーセナルに行きますようにってずっと仏壇の前でお願いしてたから」と言われて、自分の決断に安堵しました。
――親孝行ができたわけですね。
結局、アーセナルのユニフォームを着てプレーはできていないですが、人生を一歩、進めた気がしたのは確かです。
2016年夏の海外移籍ですね。僕は広島で2015年から活躍し始めて、その年のE-1選手権で日本代表になれましたが、その頃には海外へ行くという考えがすでに自分の中でにありました。
でも、自分はまだ広島で何も成し遂げていないという思いもあって、代理人や家族にも相談しましたが、やっぱり正解は自分の中にしかない。
悩んでいたタイミングで、欧州組も含めた日本代表合宿に初めて参加することになり、ウォーミングアップのジョギングをしていた時に香川真司さん(C大阪)から「お前、海外来るの?」と声をかけられました。移籍を迷っていることを真司さんに伝えると「え、迷う必要ないやん」とあっさり言われて、笑顔で「ウエルカム・トゥ・ジャーマニー」と僕に握手を求めてきたんです。その瞬間、この握手をしたら俺はもう絶対ドイツに行くだろうなと思いましたね。
――香川選手との握手で決心が高まったと。
真司さんから握手を求められた瞬間は、うわっ!どうしようという感情が湧きましたけど、気がついたらパッと手を出して握り返していました。それで代理人に移籍しますと電話したのがその日でした。ようやく決心がつきましたね。俺にとってはそれまでの人生で考えたこともないくらいの大きな悩みだったのに、彼はジョギングしながら笑顔で「ウエルカム・トゥ・ジャーマニー」と軽く言えるわけですからね。自分もこのレベルにならなあかんなと強く感じたんです。
――こうしてドイツ行きを決めた浅野選手ですが、アーセナルからビッグオファーが舞い込みました。
そうなんです。ドイツ行きを代理人に伝えたあとにアーセナルから話が来た。それが4つ目のターニングポイントでした。今だったら迷わずにアーセナルへ行けよって思いますけど、その時も活躍できるのはどっちなのか、成長に繋がるのはどっちなのかと考え続けているうちに、ドイツのクラブとの契約日が迫ってきたんです。
アーセナルからオファーが来た日にまず家族、次に広島で一番お世話になった水本裕貴さん(現相模原コーチ)に電話すると「最後は拓磨が自分で決めることなんじゃないかな」と言ってくれて、自分で決めることだよなと思いながらも時間はどんどん迫ってくる。そんなタイミングで森保さんとも話をすることができたんです。森保さんから「拓磨のファンの一人としては拓磨がアーセナルのスタジアムに立っている姿を見てみたいな」という言葉をもらった瞬間にアーセナルに行こうと心が決まりました。
――恩師の森保さんが背中を押してくれたと。
森保さんの言葉だけではなくて自分を応援してくれている人がサッカー選手としてどんな姿を見たいかをイメージした時、それならアーセナルだろうと感じたんです。サッカー選手をやっている意味ってこれだなとすごく思えたし、チャレンジして失敗したらしゃあないわっていうくらいの気持ちになれた。森保さんとの話が終わった瞬間にすぐ代理人に電話してアーセナルに行きますと伝えたら、「よかった」と言われました。それは僕のお母さんも同じだった。「もうホントによかった。アーセナルに行きますようにってずっと仏壇の前でお願いしてたから」と言われて、自分の決断に安堵しました。
――親孝行ができたわけですね。
結局、アーセナルのユニフォームを着てプレーはできていないですが、人生を一歩、進めた気がしたのは確かです。




