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モータースポーツ

佐藤琢磨のレース史|19歳でレーシングカートを始めた実績なしの異端児【F1編】

甘利隆

2020.09.23

04年のアメリカグランプリではシューマッハ、バリチェロとともに3位表彰台を飾った。(C)Getty Images

04年のアメリカグランプリではシューマッハ、バリチェロとともに3位表彰台を飾った。(C)Getty Images

 無限×童夢プロジェクトで2レースを戦った後、当時、最もレベルが高く、F1への登竜門として関係者の注目度も高かったイギリスF3に参戦するため渡英する。いくつかのジュニア・フォーミュラで実績を積み、カーリン・モータースポーツからイギリスF3へと参戦。初年度の2000年はランキング3位、2001年には全26戦中12勝の成績でチャンピオンの座を勝ち取った。また、シルバーストン、ザントフールト、マカオで開催された国際F3レースも制し、F3界の頂点に立った。

 その傍らでB・A・R ホンダの若手ドライバー育成プログラムにも参加し、F1マシンのテストも経験した。そして翌2002年にジョーダン・ホンダよりF1デビュー。最終戦の日本GPで5位に入賞し、初ポイントをつかみ獲った。カートを始めてからわずか6年目での出来事だった。

 2003年はB・A・R ホンダのリザーブ(サード)ドライバーとして過ごすが、ジャック・ヴィルヌーヴが急きょ出場を取りやめたため、最終戦の日本GPにのみ参戦する。代役ながら6位に入賞し、きっちり結果を残した。
 
 翌2004年はレギュラードライバーに昇格。このシーズンが、F1時代のハイライトといえるだろう。第5戦スペインGP、第9戦アメリカGP、第13戦ハンガリーGPで3番グリッドを獲得し、第7戦ヨーロッパGPでは“皇帝”ミハエル・シューマッハとフロントローに並んだ。

 多重クラッシュによりセーフティーカーが2度も出動する波乱の展開となったアメリカGPでは、2台のフェラーリに次ぐ3位でフィニッシュ。1990年の日本GPでの鈴木亜久里の3位表彰台に続く、日本人として2人目の快挙を成し遂げ、「表彰台からの眺めは一生忘れられない。波のようにうねって見えるグランドスタンドの大観衆や両手を挙げて大喜びするチームスタッフの面々。シューマッハとバリチェロから受けたシャンパン・セレブレーションの冷たい感触と甘い香り。やっぱり表彰台は最高です」 とコメントを残した。

 この年はシーズンを通して高い競争力を披露。表彰台を含む9回の入賞を果たし、フェラーリに次ぐコンストラクターズ・ランキング2位に大きく貢献した。
 

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