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モータースポーツ

佐藤琢磨のレース史|19歳でレーシングカートを始めた実績なしの異端児【F1編】

甘利隆

2020.09.23

度重なる不運やチームの財政難。結果を出したいと思っていても、それほど簡単にはいかないのがF1の世界だった。(C)Getty Images

度重なる不運やチームの財政難。結果を出したいと思っていても、それほど簡単にはいかないのがF1の世界だった。(C)Getty Images

 一転して、2005年は苦境となった。第2戦マレーシアGPでウイルス性の発熱による欠場の憂き目に遭い、第4戦サンマリノGPではシーズン初ポイントを獲ったはずが、マシンの最低車重違反で失格。さらにチームと共に2レースの出場停止処分も科せられた。第13戦ハンガリーGPでの8位が唯一の入賞となった。

 フェラーリからルーベンス・バリチェロが加入し、ウィリアムズに移籍するはずのジェンソン・バトンが翻意して残留したため、B・A・R ホンダから押し出される形となった2006年は、鈴木亜久里率いるスーパーアグリ・F1・チームより参戦する。エンジンがホンダ、タイヤがブリヂストンと“オールJAPAN”パッケージで挑んだが、いかんせん4年落ちのマシンをベースとする「SA05」、シーズン途中から登場した「SA06」はいずれもポテンシャルが低く、最終戦ブラジルGPでの10位が最高位とポイント獲得とはならなかった。

 2007年に投入された「SA07」は、ホンダの協力を得て開発され、前年に比べて戦闘力が飛躍的に向上していた。第4戦スペインGPでは8位に入賞し、設立1年半のチームに初めてのポイントをもたらした。大荒れとなった第6戦カナダGPも6位で走り切った。
 
 続く2008年は、F1時代で最も困難を強いられた1年だった。レギュレーション変更にうまく対応できず、「SA08」の戦闘力が相対的に下がったことに加え、チームの財政難は極限に達し、スーパーアグリは第4戦スペインGPを最後にF1から撤退する。

 その後はル・マン24時間耐久レースへの出場やALMS(American Le Mans Series:アメリカン・ル・マン・シリーズ)、インディカー・シリーズ参戦等のオファーを受けるが、「F1から引退するつもりは全くない」と全て断り、あくまでF1のレギュラーシートを目指した。実際、スクーデリア・トロ・ロッソのテストで好パフォーマンスを見せ、復帰への可能性を十分に感じさせたが、起用までには至らず、F1という夢舞台での活動は幕を閉じることになる。そして当の本人も「F1のシートを失って、キャリアが終わった……」と感じていた。

※インディカー編に続く

文●甘利隆
著者プロフィール/東京造形大学デザイン科卒業。都内デザイン事務所、『サイクルサウンズ』編集部、広告代理店等を経てフリーランス。Twitter:ama_super

【PHOTO】世界最高峰のカーレース、F1でしのぎを削るトップドライバーたち

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