この福岡を筆頭に、日本は誰が出場してもしっかり役割を理解し、自分の仕事を全うしていました。チームとしての総合力が上がってきたのだと思います。ラッキーで勝てたわけではなく、アイルランド相手にしっかりと互角に組み合って勝利を手繰り寄せたわけですからね。
そう、この勝利は決して奇跡ではないんです。自分たちがやってきたことを信じ、粘り強く戦った結果なんです。絶対に勝つと信じて挑んだ試合で、ベストパフォーマンスを発揮した選手たちを本当に誇りに思います。
ロシア戦に続く2連勝で、8強進出の可能性が大きく広がったのは間違いありません。初戦のロシア戦では固さも見えましたが、アイルランド戦は緊張も解けて自分たちのプレーができていましたから、今後の試合にも自信を持って挑めるはずです。
次のサモア戦ではメンバーが多少変わると思います。出番を与えられたフレッシュな選手が結果を残せば、チームとしての総合力はまた上がります。そうやってどんどん自信を積み重ねて、このまま全勝で1位通過したいですね。1位通過すれば、決勝トーナメントの相手はアイルランドと同じ緑のユニホームを着たチーム(南アフリカ)でしょう。日本は緑のチームが好きみたいですね(笑)。 スタジアムでひとつになった日本のファンの方々は、アイルランドに負けないくらいの声援を送っていましたし、試合が終わった後は緑のチーム(アイルランド)と赤のチーム(日本)が一緒になって、ひとつの輪になっていました。ラグビーの素晴らしい文化がここ日本で実現されていて、感動しかありません。ファンの皆さんには、まだまだ続くこのワールドカップを楽しんでほしいです。ラグビーで日本をひとつにしていきましょう!
【PHOTO】日本 19-12 アイルランド|世界2位から金星を挙げ2連勝!8強進出に大きく前進!
【PHOTO】日本×アイルランドを盛り上げたサポ―ターギャラリー
●大西将太郎 PROFILE●
1978年11月18日生まれ。大阪府東大阪市出身。現役時代はCTBとSOをこなせる万能型のバックスで、キックの名手としても知られた。布施ラグビースクール、啓光学園高、同志社大を経て、卒業後はワールドに入社。その後、06年からヤマハ発動機、09年から近鉄、13年から豊田自動織機でプレーし、ジャパンラグビートップリーグ(リーグ戦)では通算143試合に出場。07-08年シーズンには「ベスト15」、「得点王」、「ベストキッカー賞」の三冠に輝いた。日本代表には同志社大4年時(00年)に初選出され、通算33キャップ・71得点。07年ワールドカップ・フランス大会のカナダ戦では、終了直前に同点コンバージョンを決めて引き分け(12-12)に持ち込み、日本代表のワールドカップ連敗記録を13で止める立役者となった。 16年の現役引退後は、同志社大や立命館大でバックスコーチを務める。現在は解説者として、また19年ラグビーワールドカップの認知活動および、ラグビーの普及活動のため、全国を飛び回る日々だ。
そう、この勝利は決して奇跡ではないんです。自分たちがやってきたことを信じ、粘り強く戦った結果なんです。絶対に勝つと信じて挑んだ試合で、ベストパフォーマンスを発揮した選手たちを本当に誇りに思います。
ロシア戦に続く2連勝で、8強進出の可能性が大きく広がったのは間違いありません。初戦のロシア戦では固さも見えましたが、アイルランド戦は緊張も解けて自分たちのプレーができていましたから、今後の試合にも自信を持って挑めるはずです。
次のサモア戦ではメンバーが多少変わると思います。出番を与えられたフレッシュな選手が結果を残せば、チームとしての総合力はまた上がります。そうやってどんどん自信を積み重ねて、このまま全勝で1位通過したいですね。1位通過すれば、決勝トーナメントの相手はアイルランドと同じ緑のユニホームを着たチーム(南アフリカ)でしょう。日本は緑のチームが好きみたいですね(笑)。 スタジアムでひとつになった日本のファンの方々は、アイルランドに負けないくらいの声援を送っていましたし、試合が終わった後は緑のチーム(アイルランド)と赤のチーム(日本)が一緒になって、ひとつの輪になっていました。ラグビーの素晴らしい文化がここ日本で実現されていて、感動しかありません。ファンの皆さんには、まだまだ続くこのワールドカップを楽しんでほしいです。ラグビーで日本をひとつにしていきましょう!
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●大西将太郎 PROFILE●
1978年11月18日生まれ。大阪府東大阪市出身。現役時代はCTBとSOをこなせる万能型のバックスで、キックの名手としても知られた。布施ラグビースクール、啓光学園高、同志社大を経て、卒業後はワールドに入社。その後、06年からヤマハ発動機、09年から近鉄、13年から豊田自動織機でプレーし、ジャパンラグビートップリーグ(リーグ戦)では通算143試合に出場。07-08年シーズンには「ベスト15」、「得点王」、「ベストキッカー賞」の三冠に輝いた。日本代表には同志社大4年時(00年)に初選出され、通算33キャップ・71得点。07年ワールドカップ・フランス大会のカナダ戦では、終了直前に同点コンバージョンを決めて引き分け(12-12)に持ち込み、日本代表のワールドカップ連敗記録を13で止める立役者となった。 16年の現役引退後は、同志社大や立命館大でバックスコーチを務める。現在は解説者として、また19年ラグビーワールドカップの認知活動および、ラグビーの普及活動のため、全国を飛び回る日々だ。