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「満足すれば、そこで成長は止まってしまう」変わり続ける道を選ぶ、パナソニック・清水邦広の矜持

北野正樹

2021.01.11

 それにしても、超一流の選手がそこまで自分をさらけ出すことに抵抗はないのだろうか。重ねて聞いてみると、「もっともっと注目を浴びるためには、アピールをしないといけいない。今、スポーツ界で野球やサッカー、バスケットなどいろんな人気スポーツがある中で、バレーがそこに食い込んでいくには、もっとファンを獲得しなければならない。(Vリーグ機構やチームなど)運営側もそうだが、選手自身も考えなくてはいけない」と、バレー界を取り巻く危機感が行動の背景にあることを説明した。

 そうした考えは以前にはなかったといい、「(ファンの前で3枚目を演じるようなことは)昔の僕ならできなかった。最近ですね、そう考えるようになったのは。チームのSNSを通しても、バレーの楽しみ方を一つでも多く提供している。模索しながらやっている」という。

 大エースがそこまでしなくても、という批判もあるかもしれない。しかし、「言われたことはないが、批判されるもの注目の一つ。なんぼでも批判してくれていい。興味がないと批判もない。興味を持ってもらえるよう、最初の一歩を踏み出してもらえるようにしていきたい。客寄せパンダと言われてもいい。もっと露出することでテレビやSNSの中で知ってもらえて興味につながる。それをしないでバレーだけやっていたらいいと言っても、お客さんは来てくれない」と意に介さない。
 
 福井県で生まれ、ママさんバレーをしていた母の影響で小学4年からバレーを始めて以来、常に注目を浴びてきた。
 
 美山中学時代にバレー人生を決める出会いがあった。バレーかバスケか迷っていた清水に、「お前をすごい選手に育ててやる」と勧誘してくれた松本義昭先生。選手では、サントリーのⅤリーグ5連覇に貢献したジルソン(元サントリー監督)。高校の先輩でもある荻野の出身地、福井市で開かれたⅤリーグを観戦し、ジャンプ力と相手ブロックを打ち抜くパワーに圧倒された。ここでも、松本先生からかけられた「『すごい』という選手は、日本中に何人もいる。(ジルソンのように)『わあ、すごい』と言われる選手になりなさい」という言葉が、その後の清水を支えることになる。

 東海大卒業後、一緒に入団し、ライバルから親友に代わった福沢との出会いも、中学時代。「初めての大舞台だった」という2001年の「JOCカップ 第15回都道府県対抗中学バレー」には3年で福井代表として出場。2回戦で敗退したものの、191センチの長身とサウスポーから繰り出すパワフルなスパイクで、最優秀選手賞の「JOC・JVAカップ」と、「五輪有望選手」を木村沙織(元日本代表女子主将)とともに受賞した思い出深い大会だ。「田舎育ちで井の中の蛙だったが、隣県の京都選抜の福沢のジャンプ力を見て、もっとうまくなるためにはもう一段上のライバルを見つけることが大事だと思い知らされた」という。

 福井工大付属福井高を経て進学した東海大時代の2007年に代表入りし、08年の北京五輪には福沢とともに21歳で代表に選出された。パナソニックでは、2009~10年シーズンに2年ぶりの優勝に貢献し最高殊勲選手賞(MVP)、スパイク賞などに輝き、2010年には黒鷲旗全日本選抜男女選手権でチームを3連覇に導いた。
 

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