順風満帆のバレー人生の歯車が大きく狂ったのは、18年2月18日。Vプレミアリーグ、「ファイナルステージ ファイナル6」のJT戦で、スパイクを打って着地した際に、右膝を痛めてコートに倒れ込んだ。右膝前十字靭帯損傷で全治12か月の大けがだった。右足甲を骨折した16年に続く長いブランクを伴う故障だったが、復帰後も感染症などで再入院を余儀なくされ、代表として国際親善大会のコートに戻ったのは19年8月のことだった。
「正直言って、もう辞めようと思ったこともあった」と振り返るが、揺らぐ思いを踏みとどまらせたのは、1勝もできなかった北京五輪と、その後の世界最終予選で五輪出場を逃し続けたことに対する日本代表のエースとしての自責の念だ。北京五輪では「出場するだけで満足してしまい、何もできなかった」といい、12年シドニー、主将で臨んだ16年リオデジャネイロ両五輪の出場権を逃し「男子バレーを低迷させた」と今も自らを責める。
今季のリーグ戦はコロナ禍でも予定通り開幕できたものの、フランス代表監督のまま就任したティリ監督の来日が開幕直前まで遅れ、5月からの公式戦がなくぶっつけ本番で臨んだ。しかし、フランスからのリモートの指導で、例年よりボールを使った実戦的な練習が増えたことから、「ここ数年で一番激しく、質の高い練習をしてきた。練習時間は変わらないが、ボールに触わる時間が増え、サーブのスピードも上がった」と練習の成果を実感している。
東京五輪が予定通り1年延期で開催されると、大会直後の8月11日に35歳を迎える。345センチあったスパイクの最高到達点は15センチも下がり、パフォーマンスの衰えは隠せない。しかし、かつてのように100%ではなく、30%の力でも相手守備陣の穴を突き、相手の力を利用したブロックアウトで得点を挙げるなど、プレースタイルを変えて対応している。
「まず、代表に選んでもらうこと」と言葉を選びながらも、目指すのは郷土のレジェンド・荻野。「若手と一緒にトレーニングをこなし、チームを引っ張ってくれた」と現在、代表登録メンバーの最年長の自分の姿に重ねる。
座右の銘は「小さな積み重ねがのちに大きな変化を生む」。右膝の大怪我をした際、当時のコーチ、モッタ・パエス・マウリシオさんから「今は実感ができないかもしれないが、リハビリをコツコツと重ねることで大きな変化が生まれるから、頑張れ」とかけてもらった言葉だ。
「これが限界だと思って満足すれば、そこで成長は止まってしまう」「僕には伸びしろしかない」。大怪我からの復活を果たした自負が、言葉にみなぎっている。
文●北野正樹(フリーライター)
きたの・まさき/1955年生まれ。2020年11月まで一般紙でプロ野球や高校野球、バレーボールなどを担当。南海が球団譲渡を決断する「譲渡3条件」や柳田将洋のサントリー復帰などを先行報道した。
「正直言って、もう辞めようと思ったこともあった」と振り返るが、揺らぐ思いを踏みとどまらせたのは、1勝もできなかった北京五輪と、その後の世界最終予選で五輪出場を逃し続けたことに対する日本代表のエースとしての自責の念だ。北京五輪では「出場するだけで満足してしまい、何もできなかった」といい、12年シドニー、主将で臨んだ16年リオデジャネイロ両五輪の出場権を逃し「男子バレーを低迷させた」と今も自らを責める。
今季のリーグ戦はコロナ禍でも予定通り開幕できたものの、フランス代表監督のまま就任したティリ監督の来日が開幕直前まで遅れ、5月からの公式戦がなくぶっつけ本番で臨んだ。しかし、フランスからのリモートの指導で、例年よりボールを使った実戦的な練習が増えたことから、「ここ数年で一番激しく、質の高い練習をしてきた。練習時間は変わらないが、ボールに触わる時間が増え、サーブのスピードも上がった」と練習の成果を実感している。
東京五輪が予定通り1年延期で開催されると、大会直後の8月11日に35歳を迎える。345センチあったスパイクの最高到達点は15センチも下がり、パフォーマンスの衰えは隠せない。しかし、かつてのように100%ではなく、30%の力でも相手守備陣の穴を突き、相手の力を利用したブロックアウトで得点を挙げるなど、プレースタイルを変えて対応している。
「まず、代表に選んでもらうこと」と言葉を選びながらも、目指すのは郷土のレジェンド・荻野。「若手と一緒にトレーニングをこなし、チームを引っ張ってくれた」と現在、代表登録メンバーの最年長の自分の姿に重ねる。
座右の銘は「小さな積み重ねがのちに大きな変化を生む」。右膝の大怪我をした際、当時のコーチ、モッタ・パエス・マウリシオさんから「今は実感ができないかもしれないが、リハビリをコツコツと重ねることで大きな変化が生まれるから、頑張れ」とかけてもらった言葉だ。
「これが限界だと思って満足すれば、そこで成長は止まってしまう」「僕には伸びしろしかない」。大怪我からの復活を果たした自負が、言葉にみなぎっている。
文●北野正樹(フリーライター)
きたの・まさき/1955年生まれ。2020年11月まで一般紙でプロ野球や高校野球、バレーボールなどを担当。南海が球団譲渡を決断する「譲渡3条件」や柳田将洋のサントリー復帰などを先行報道した。