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角田裕毅は“日本人初“のF1チャンピオンになれるか?名ドライバーたちの足跡から探る「黄金ルーキー」の可能性

甘利隆

2021.04.15

バーレーンGPでは9位入賞を果たした角田。今回は地元イモラでのエミリア・ロマーニャGPで、さらなる上位を目指す。(C)Getty Images

バーレーンGPでは9位入賞を果たした角田。今回は地元イモラでのエミリア・ロマーニャGPで、さらなる上位を目指す。(C)Getty Images

 その年、0.5ポイント差でマクラーレン・TAGポルシェのチームメイト、プロストを下し、3回目の戴冠を果たした不死鳥ラウダも、デビューは中堅チームのマーチ・フォードからだ。1971年、地元のオーストリアGPにスポット参戦したが、リタイアの憂き目に遭っている。

 4度ワールドチャンピオンに輝いたプロストもそれほど恵まれた体制でのデビューではなかった。

 1980年に加入した当時のマクラーレン・フォードは前年ランキング7位の低迷期。TAGポルシェ、ホンダと後に黄金時代を築くことになるデニスもまだチーム運営に携わっておらず、マシンの競争力も高くなかったが、開幕戦アルゼンチンGPでは予選12番手から6位入賞。合計4回入賞した。また、優勝経験もある同僚のジョン・ワトソンに対し、予選で13勝1敗。大器の片鱗をうかがわせた。

 レッドブルのセカンドチームであるアルファタウリ・ホンダからデビューした角田にとって、セバスチャン・ベッテルが新人時代に示した結果が試金石となるか。
 
 2007年当時、レッドブルの契約下にあったベッテルは、貸し出される形でBMWザウバーのサードドライバーとして登録されており、前戦で負傷したロバート・クビサに代わり、急きょ、第7戦アメリカGPに参戦。8位で完走し、19歳349日の史上最年少入賞記録(当時)を更新した。
 
 第11戦ハンガリーGPからはアルファタウリの前身となるトロロッソ・フェラーリのドライバーに起用され、翌2008年の第14戦イタリアGPでは初のポール・トゥ・ウィン。2009年にはレッドブル・ルノーに移籍し、2010年からの4年連続チャンピオンにつなげた。

 なお、2007年の最高位は4位。本格参戦を開始した2008年に完走した12レースの平均順位は7.17位。予選10番手以内に食い込んだのは全18戦中10戦となっている。

 今年、角田が予選の半分以上で10番手以内、完走したレースでコンスタントに7~8位というリザルトを残し、あわよくば表彰台に立つことができれば、次代のチャンピオン候補を名乗る資格は十分だといえるだろう。

【関連動画】アルファタウリが公開した角田裕毅とガスリーのイモラテスト走行の様子

文●甘利隆

著者プロフィール/東京造形大学デザイン科卒業。都内デザイン事務所、『サイクルサウンズ』編集部、広告代理店等を経てフリーランス。Twitter:ama_super
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