そして、選手生命にもかかわる最大のピンチが訪れたのは大学を卒業し、日体クラブの所属選手として東京五輪を目指していた2019年5月だ。その年の世界選手権代表選考会を兼ねたNHK杯の試合開始直前。跳馬の練習を突如中断した村上は、足をひきずりながら棄権を申し出た。
大会の1週間前、練習でぎっくり腰になり、「両仙腸関節症」と診断されていた。NHK杯では痛み止めの注射を打つなど最後まで出場に向けて調整したが、無理だった。盟友の寺本明日香と抱き合い、涙を流しながら「ごめん」と言って棄権をわびた。2019年世界選手権は東京五輪の団体出場枠獲得が懸かっていたからだ。(その秋、寺本主将が率いた日本女子は執念で団体出場権を獲得)
後に村上は、日常生活にも支障をきたす痛みの中、何よりつらかったのは、リハビリすら許されずにできずに体を休めなければいけなかったことだったと述懐していた。
今回の世界選手権も、開幕約2週間前の10月5日の試技会で左足首を痛めていた。そのため十分な練習をできず、予選の平均台は降り技の着地の際に顔をゆがめる場面もあった。それでも最後まで演技しようと思ったのは、観客に演技を見てもらいたかったから。
「オリンピックの時もたくさんの人に支えられた。世界選手権に出るモチベーションを考えた時、オリンピックで唯一の心残りだったのが無観客だったこと。たくさんの人に見ていただきたいから世界選手権を頑張ろうと思った。応援がないと続けられなかった」
多くのケガを乗り越えた村上は、現役最後の演技となったゆかの後、スタンドのファンにお辞儀をした。応援への感謝の気持ちの先にあったのが、有終の美の金メダルだった。
取材・文●矢内由美子
【PHOTO】日本女子体操57年ぶりの快挙!体操種目別ゆかで銅メダルに輝いた村上茉愛の可憐な演技を厳選ショットで振り返る!
大会の1週間前、練習でぎっくり腰になり、「両仙腸関節症」と診断されていた。NHK杯では痛み止めの注射を打つなど最後まで出場に向けて調整したが、無理だった。盟友の寺本明日香と抱き合い、涙を流しながら「ごめん」と言って棄権をわびた。2019年世界選手権は東京五輪の団体出場枠獲得が懸かっていたからだ。(その秋、寺本主将が率いた日本女子は執念で団体出場権を獲得)
後に村上は、日常生活にも支障をきたす痛みの中、何よりつらかったのは、リハビリすら許されずにできずに体を休めなければいけなかったことだったと述懐していた。
今回の世界選手権も、開幕約2週間前の10月5日の試技会で左足首を痛めていた。そのため十分な練習をできず、予選の平均台は降り技の着地の際に顔をゆがめる場面もあった。それでも最後まで演技しようと思ったのは、観客に演技を見てもらいたかったから。
「オリンピックの時もたくさんの人に支えられた。世界選手権に出るモチベーションを考えた時、オリンピックで唯一の心残りだったのが無観客だったこと。たくさんの人に見ていただきたいから世界選手権を頑張ろうと思った。応援がないと続けられなかった」
多くのケガを乗り越えた村上は、現役最後の演技となったゆかの後、スタンドのファンにお辞儀をした。応援への感謝の気持ちの先にあったのが、有終の美の金メダルだった。
取材・文●矢内由美子
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