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格闘技・プロレス

驚愕させた凄まじい伝説の数々。なぜ“神の子”山本“KID”徳郁は人に愛されたのか?【K-1名戦士列伝】

橋本宗洋

2022.02.24

UFCなどでも活動をしたKID。後進の育成にも従事し、日本の格闘技界を牽引するような存在となっていった。(C)Getty Images

UFCなどでも活動をしたKID。後進の育成にも従事し、日本の格闘技界を牽引するような存在となっていった。(C)Getty Images

「魔裟斗くん、大晦日、一緒に盛り上げよう」

 対戦要求も自信満々で、いかにもKIDらしいものだった。

 自信があるからこそ落ち着いている。修斗時代は試合終了のゴング後も相手を殴って処分されたが、K-1では常に堂々としていた。そんなKIDが挑んだ魔裟斗戦の中継は、大晦日の瞬間最高視聴率を記録。初の“紅白超え”を果たしたのである。

 KIDの存在が大きくなると、K-1のリングでも総合ルール、ミックスルールの試合が組まれるようになる。そしてK-1系の総合イベント『HERO'S』がスタート。KIDは2005年のトーナメントで優勝を飾る。それもホイラー・グレイシー、宇野薫、須藤元気という並み居る強敵を下して、である。見事というほかなかった。

 2006年5月の大会では宮田和幸を開始4秒で繰り出した跳び膝蹴りでKO。この試合はいまや格闘界に残る“伝説”と言っていいだろう。
 その後もレスリング復帰、DREAMやUFCへの参戦と、KIDは常に話題を提供し続けた。彼が活躍し始めた時代、日本の格闘技界は、まだまだ未整備の状態だった。だからこそKIDはK-1に出場したのだとも言える。

 階級も70キロの中量級ができたばかりで、メジャー大会では細かく階級を分ける段階になかった。本来は60キロほどのKIDも70キロで闘ったが、それでも男は結果を出した。それもまた“神の子”の凄さである。

 全盛期、圧倒的な輝きを放ったKID。しかし、その早すぎる死も我々を驚かせた。2018年にがんで闘病中であることが公表されると、同年9月18日に逝去した。

 ファイターとしてだけでなく、自身のジム「KRAZY BEE」で、後進の育成にも手腕を発揮していたKID。BellatorやUFCでも活躍する堀口恭司も、その教えを受けて、世界に巣立った選手だ。もしも、病魔に襲われなければ、何十年も格闘技界に貢献してくれたに違いない。

 選手育成リアリティショーに出演した際には、いわゆるバラエティー的な“演出”を嫌い、若手たちをバックアップする大切さを、熱っぽく語っていた。ただ強かっただけでなく、根底に格闘技へのまっすぐな気持ちがあるからこそ、“神の子”は愛された。

文●橋本宗洋

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