――それなのに……。
「2020年、コロナ禍になる前に転職活動を始めたんですが、自粛期間中に自分は何に向いているのか真剣に考えたんです。机に向かって仕事をする事務職は想像できなかった一方で、スポーツに関係する仕事でお金を稼ぎたいという気持ちがありました。あとから聞いた話では、母はスポーツ選手が一番向いているんじゃないかと思っていたようです。だから『競輪選手を目指す』と言ったときは、『前にも勧めたじゃない』って」
――20歳のときから5年、そこでベクトルが合ったわけですね。
「そうなんです。だけど、いま養成所にいる候補生は、だいたい親戚に競輪選手がいたり、お世話になった整骨院の先生が競輪選手だったりというのがほとんどで、私のようにフラフラしていて、いきなりやりたいって言い出すケースは珍しいようです」
――何から始めたのですか?
「まずは、名古屋競輪場で愛好会の門を叩きました。そこは自転車が好き、競輪が好きな子どもから大人までが楽しんでいるような会で、競輪選手になりたいという素人の私にも、優しく教えてくれる選手がいました」
――最初は大変でしたか?
「いや、ロードバイクに乗っていたせいか、初めてのときも意外に乗れました。いきなり楽しくて、いつまでも乗っていたいと思えたほどです」
――技能試験合格までの道のりは?
「2020年の5月に競輪選手になると決めて、3か月くらいしか練習してなかったのに、何を思ったのか、その年の試験を受けたんですね。当然、2次試験で落ちました。厳しい世界で、甘くないとは思っていたんですが、根拠のない自信もあったんです。私は絶対に競輪選手になるって。だから不安はありませんでした。20歳のときに受けて落ちていたら、たぶん諦めていたと思います。やっぱりダメじゃんって。だけど、25歳で覚悟を決めて、1回落ちたからといって気持ちを曲げたら、家族とか友人に『口だけかよ』と言われると思って。それが、すごく嫌だったんです」
――入所して約1カ月、養成所の生活はどうですか?
「もちろん厳しさはありますが、いろいろな仕事を経験してきたぶん、そんなもんだよなと思えるところもあって、頑張れています。寮生活は学生に戻ったような感じで、すごく楽しいですし。これは先生がよく話してくださることなんですが、人生のうちの10カ月は振り返った時短い。来年の今頃は、あっと言う間だったと言えると思います」
――どんな選手になりたいですか?
「長い間、強さを保てるような選手になりたいと思っています。競輪は、他のスポーツに比べると選手寿命が長いので、60歳で現役を続けている選手もいます。この先、結婚とか出産となったら気持ちが変わることもあるかもしれないですけど、現時点の目標は、長く強く、活躍できる選手になることです」
――最後に、後輩たちにメッセージをお願いします。
「バスケをやってる子は身体能力が高い。私自身も、ジャンプ力、柔軟性、体幹の強さが現在に生きていると感じています。いまは情報が多すぎるので、自分の将来について迷うこともあると思います。でも、私みたいにいろいろな道を経験してもいいから、やっぱり自分が一番なりたいものを見つけることが大事だと思います。なので、たくさん迷って、失敗や遠回りを恐れず経験を積んで、最終的になりたい自分になってください!」
取材・文 粕川哲男
「2020年、コロナ禍になる前に転職活動を始めたんですが、自粛期間中に自分は何に向いているのか真剣に考えたんです。机に向かって仕事をする事務職は想像できなかった一方で、スポーツに関係する仕事でお金を稼ぎたいという気持ちがありました。あとから聞いた話では、母はスポーツ選手が一番向いているんじゃないかと思っていたようです。だから『競輪選手を目指す』と言ったときは、『前にも勧めたじゃない』って」
――20歳のときから5年、そこでベクトルが合ったわけですね。
「そうなんです。だけど、いま養成所にいる候補生は、だいたい親戚に競輪選手がいたり、お世話になった整骨院の先生が競輪選手だったりというのがほとんどで、私のようにフラフラしていて、いきなりやりたいって言い出すケースは珍しいようです」
――何から始めたのですか?
「まずは、名古屋競輪場で愛好会の門を叩きました。そこは自転車が好き、競輪が好きな子どもから大人までが楽しんでいるような会で、競輪選手になりたいという素人の私にも、優しく教えてくれる選手がいました」
――最初は大変でしたか?
「いや、ロードバイクに乗っていたせいか、初めてのときも意外に乗れました。いきなり楽しくて、いつまでも乗っていたいと思えたほどです」
――技能試験合格までの道のりは?
「2020年の5月に競輪選手になると決めて、3か月くらいしか練習してなかったのに、何を思ったのか、その年の試験を受けたんですね。当然、2次試験で落ちました。厳しい世界で、甘くないとは思っていたんですが、根拠のない自信もあったんです。私は絶対に競輪選手になるって。だから不安はありませんでした。20歳のときに受けて落ちていたら、たぶん諦めていたと思います。やっぱりダメじゃんって。だけど、25歳で覚悟を決めて、1回落ちたからといって気持ちを曲げたら、家族とか友人に『口だけかよ』と言われると思って。それが、すごく嫌だったんです」
――入所して約1カ月、養成所の生活はどうですか?
「もちろん厳しさはありますが、いろいろな仕事を経験してきたぶん、そんなもんだよなと思えるところもあって、頑張れています。寮生活は学生に戻ったような感じで、すごく楽しいですし。これは先生がよく話してくださることなんですが、人生のうちの10カ月は振り返った時短い。来年の今頃は、あっと言う間だったと言えると思います」
――どんな選手になりたいですか?
「長い間、強さを保てるような選手になりたいと思っています。競輪は、他のスポーツに比べると選手寿命が長いので、60歳で現役を続けている選手もいます。この先、結婚とか出産となったら気持ちが変わることもあるかもしれないですけど、現時点の目標は、長く強く、活躍できる選手になることです」
――最後に、後輩たちにメッセージをお願いします。
「バスケをやってる子は身体能力が高い。私自身も、ジャンプ力、柔軟性、体幹の強さが現在に生きていると感じています。いまは情報が多すぎるので、自分の将来について迷うこともあると思います。でも、私みたいにいろいろな道を経験してもいいから、やっぱり自分が一番なりたいものを見つけることが大事だと思います。なので、たくさん迷って、失敗や遠回りを恐れず経験を積んで、最終的になりたい自分になってください!」
取材・文 粕川哲男