明日への一歩を応援する「Do My Best, Go!」。第10回は、女子サッカーの鮫島彩選手。なでしこジャパンで長く主力を務め、2011年の女子ワールドカップ優勝メンバーの一員でもある。また、フランス、アメリカでもプロ選手としてプレー。9月12日に開幕する、日本初の女子プロサッカーリーグ=WEリーグでは、新設チーム・大宮アルディージャVENTUSの中心メンバーとして活躍が期待されている。その鮫島選手に、話を聞いた。
――まず、サッカーを始めたきっかけを教えてください。
「当時は少なかった女子サッカーチームが、近所にたまたまあって、そこに誘われて行ったのがきっかけでした。鬼ごっこなども交えて、楽しくやるような環境で、小学生から社会人までの楽しいメンバー、いろいろな世代の人たちと触れ合いながら、身体を動かせるというのがとても面白かったです。走るのは、その頃から得意で、とにかく、身体を動かすことが好きでしたね。休み時間はみんなでずっと鬼ごっこをやっていました」
――子どもの頃から、食事はたくさん食べるほうでしたか。
「たくさん食べていましたね。私は、1回の食事でたくさん食べるというよりも、回数を重ねるタイプでした。練習が週3日であったんですけれども、土日は5時間くらい練習をやるんです。1時間ごとに休憩があるんですけれども、その休憩ごとに、パンを食べたり、おにぎりを食べたり。人より筋肉量が多いタイプなので、消費が激しいというか、燃費が悪いというか、必ず何かを食べていました」
――そして、常盤木学園高校へ進学します。鮫島選手以後、同校は代表選手を輩出するようになりました。
「私が入学する前にも、一度優勝しているんですよ。私は、3年間全部準優勝だったんですけれども。高校時代は、とにかくきつかったですね。朝練があって、夕方からまた練習があって、寮に帰ったら10時過ぎ。そこから、みんなで順番を待ってシャワーを浴びて、そしてまた朝が来て……。練習も厳しかったので「もうムリだぁ!」と3日に1回くらいは思っていました。
坂道ダッシュがあり、お寺の階段を登り、地元のお祭りに歩いて行って、帰りはマラソン大会なんてこともありました。でも、そこを通って身についたこともありますし、常盤木学園へ行っておいてよかったなと思います」
――そうした厳しい練習後でも、ご飯は食べられましたか?
「本当にありがたかったですね。帰ったら、もう食事の準備をしてもらっていて、それを食べて、朝も、おかずが食堂にまとめて置いてあって、それを自分のお弁当箱に好きなだけ詰めていくような感じでした。チームメイトもみんな食べ盛り。私は朝起きるのが早かったので、いちばん最初に食堂へ行って、たくさん詰め込んでいました。(笑)」
――では、食事については、それほど悩むことはありませんでしたか?
「土日は、コンビニで用意したり、スーパーで用意したり、お小遣いの中でやりくりしていたので、食事だけにすべてを使うということはできなかったんですよ。今では、値段が安くてもエネルギー栄養があるものなどを知っています。なので、当時から栄養の知識を持っていれば、もっと体に必要なものを摂取できたのになと思います」
――常盤木学園での「青春との思い出」などありますか。
「制服もほとんど着ていませんし、門限もあったので……。ただ、全国制覇はできなかったんですけれども、たくさんの経験をさせてもらいました。それと、親元を離れて生活したというのは大きかったかなと思います」
――まず、サッカーを始めたきっかけを教えてください。
「当時は少なかった女子サッカーチームが、近所にたまたまあって、そこに誘われて行ったのがきっかけでした。鬼ごっこなども交えて、楽しくやるような環境で、小学生から社会人までの楽しいメンバー、いろいろな世代の人たちと触れ合いながら、身体を動かせるというのがとても面白かったです。走るのは、その頃から得意で、とにかく、身体を動かすことが好きでしたね。休み時間はみんなでずっと鬼ごっこをやっていました」
――子どもの頃から、食事はたくさん食べるほうでしたか。
「たくさん食べていましたね。私は、1回の食事でたくさん食べるというよりも、回数を重ねるタイプでした。練習が週3日であったんですけれども、土日は5時間くらい練習をやるんです。1時間ごとに休憩があるんですけれども、その休憩ごとに、パンを食べたり、おにぎりを食べたり。人より筋肉量が多いタイプなので、消費が激しいというか、燃費が悪いというか、必ず何かを食べていました」
――そして、常盤木学園高校へ進学します。鮫島選手以後、同校は代表選手を輩出するようになりました。
「私が入学する前にも、一度優勝しているんですよ。私は、3年間全部準優勝だったんですけれども。高校時代は、とにかくきつかったですね。朝練があって、夕方からまた練習があって、寮に帰ったら10時過ぎ。そこから、みんなで順番を待ってシャワーを浴びて、そしてまた朝が来て……。練習も厳しかったので「もうムリだぁ!」と3日に1回くらいは思っていました。
坂道ダッシュがあり、お寺の階段を登り、地元のお祭りに歩いて行って、帰りはマラソン大会なんてこともありました。でも、そこを通って身についたこともありますし、常盤木学園へ行っておいてよかったなと思います」
――そうした厳しい練習後でも、ご飯は食べられましたか?
「本当にありがたかったですね。帰ったら、もう食事の準備をしてもらっていて、それを食べて、朝も、おかずが食堂にまとめて置いてあって、それを自分のお弁当箱に好きなだけ詰めていくような感じでした。チームメイトもみんな食べ盛り。私は朝起きるのが早かったので、いちばん最初に食堂へ行って、たくさん詰め込んでいました。(笑)」
――では、食事については、それほど悩むことはありませんでしたか?
「土日は、コンビニで用意したり、スーパーで用意したり、お小遣いの中でやりくりしていたので、食事だけにすべてを使うということはできなかったんですよ。今では、値段が安くてもエネルギー栄養があるものなどを知っています。なので、当時から栄養の知識を持っていれば、もっと体に必要なものを摂取できたのになと思います」
――常盤木学園での「青春との思い出」などありますか。
「制服もほとんど着ていませんし、門限もあったので……。ただ、全国制覇はできなかったんですけれども、たくさんの経験をさせてもらいました。それと、親元を離れて生活したというのは大きかったかなと思います」