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食と体調管理

「オリンピアンとして人の役に立ちたい」6大会連続出場のスノーボード・竹内智香がオリンピックから得た人生観と競技生活を支える食習慣

松原孝臣

2022.12.01

写真:GettyImages

写真:GettyImages

--スイスで練習しながら出場した2010年のバンクーバーオリンピックが13位、続く2014年のソチオリンピックで銀メダルを獲得していますね。

 バンクーバーもソチも世界ランキングは2位くらいでしたが、かたやバンクーバーは1回戦敗退、ソチはメダル。何が違うんだろうと考えたとき、メダリストたる器というか人間性であったかどうかなのでは、と思いました。

 能力だけではなくいろいろなことが総合的にパッケージになって「あなたはメダリストですよ」と言われるのがメダリストのように感じていて。

 振り返ると、バンクーバーの頃の私はスイスに行って成績が右肩上がり、絶好調なときでした。

「最初からスイス人として生まれていればもっと簡単に世界のトップに行けたのに」「なぜ日本人として生まれたんだろう」と自問自答する時間もあって、不平不満というか反骨精神のようなものをオリンピックにぶつけていたと思います。その精神でいる時点でオリンピック精神に反していますよね。

 バンクーバーのあと、「日本とスイス両国に感謝をして、それを力にしよう」と決めました。どっちがいいではなく日本人として生まれて変えられないルーツがあり、でも助けてくれるスイスがある。2つの環境をいかせるのは恵まれているんだと考えるようになりました。
 

写真:GettyImages

--バンクーバーの後、日本に戻られていますね。スポンサーをはじめ支援をみつけるのは簡単ではなかったのではないでしょうか。

 人と人のつながりがすべてです。応援してくださっているスポンサーの皆さん、横のつながりがあるというか。「あの会社が応援しているなら僕らも」と。私を知ってくれてワンチームになっていくという強さが競技を続けられる理由です。

--広島の多くの企業がスポンサーになっています。広島に基盤を築いたことは、冬季競技では意外な感じがあります。

 母親のいとこが広島に住んでいて、観光客として広島にはまって毎年春に遊びに行くようになっていました。自動車免許も尾道の合宿で取得し、成人式の写真も尾道で撮りました。
 
 土地と人が好きになって、草大会をやらせてもらったり、まさに人と人のつながりができていきました。最初はスポンサーをゲットしようという思いとかはなくて、何かを計算して動くより好きなところにいって出会ってつながっていったことが今に至っています。

 ソチでのメダルは、スイスと日本、2つの国からのサポート、いろいろな人からの応援、サポートがあってのことだと思います。
 

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