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食と体調管理

「不可能は可能性だ」たゆまぬ向上心と探求心でパラ・クロスカントリースキー日本代表を牽引する新田佳浩の強さと食生活

松原孝臣

2023.01.05

写真:GettyImages

写真:GettyImages

■4度目の出場で手にした金メダル

――続く2002年のソルトレイクシティパラリンピックで銅メダル、翌シーズンの世界選手権では金メダルを獲得しています。

 自分がイメージしたことがどんどん現実になっていくビジョンが描けていました。やればやるだけ自分が成長しているのを感じて、世界との差も縮まっていってすごく充実した期間だったのを覚えていいます。

 ただ、2006年のトリノパラリンピックではメダルを取れませんでした。当時は世界ランキングで2番か3番にはいたのでメダルは取れるだろうと思っていましたが、自信を持ち過ぎていたように思います。

 また個人で活動することが多かったのですが、大会後に自分のやっている競技はいろいろな人の助けが必要なんだなと改めて感じましたし、競技レベルが向上する中で、このままの個人で取り組む環境で4年後を目指すことに悩みもあり、思い切って環境を変えるために日立ソリューションズに入りました。

――日立ソリューションズはどのような環境でしょうか。

 社員は後援会に自主的に加入されているのですが、2,300人以上の方に加入頂いていて、有志の方々が現地の応援ツアーで大会に応援ツアーで駆けつけてくれたり、スキー板の費用を捻出していただいたり、社員の人たちにサポートされながら競技に打ち込み、トレーニングができています。
 
――その後の2010年バンクーバーパラリンピックでついに金メダルを獲得しました。

 1つ目の金メダルを取ったときは5キロくらいで2位と20秒以上差ができてどんどん広がっていったので、これはもう勝てるなと思っていました。

 バンクーバーでは私が日本チームの主将でしたが、僕が出る前に金メダルが日本としてなかったので、主将としての役割を1つ果たせたと思いました。

 またアルペンの選手が銅メダルを獲得したのと同じ日に表彰式があり、「やっぱり金メダルは違いますね。僕も金メダルを目指して明日頑張ります」と言ってくれました。そうしたら本当に次の日、金メダルを獲得してくれて、自分が結果を出すのもそうですけれど、違う競技に刺激を与えることもあるのだな、と思ったのを覚えています。

――大会の後、おじい様に金メダルをかけてあげたニュースを見た記憶があります。

 祖父に金メダルをかけたいという目標をずっと抱いてやっていました。祖父が「これで世界一のおじいちゃんになったんだな」と言っていたのですが、僕は「今までありがとう」と伝えました。

 祖父にメダルをかけたいという目標をもらったことがうれしかったですし、祖父としても、生き甲斐になっていたようで、僕は幸せな時間を過ごさせてもらったなと思っていました。

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