――2014年のソチパラリンピックでは表彰台に上がれませんでした。大会の後、どのような思いがあったのでしょうか。
ソチパラリンピックでメダルを取れずに帰国したとき、出迎えてくれた長男が成田空港で手づくりの金メダルを渡してくれたんです。小さいながら、何かを感じて頑張ってほしいなって思ってくれているんだなと思って、そこからもう一度頑張ろうと思いました。
今までは両親や祖父母のためにという思いがありましたが、子どもたちや妻のためにと切り替わったと思います。
――続く平昌パラリンピックで8年ぶりに金メダルを獲得しました。
2013年に東京でのオリンピック、パラリンピック開催が決まって、2014年度からに、パラリンピックはそれまで厚生労働省管轄だったのですが、文部科学省に移管されました。
国立スポーツ科学センターをパラの選手も使用できることになって、トレーニングをしっかりやれる環境が整いました。また冬季競技にもフォーカスをあててみようということで僕に白羽の矢が立って、栄養とか運動も科学的にやりましょう、という流れができたところでの平昌でした。
僕が考える日本人の強さというのは工夫するところやちょっとした感性の違いを具現化できるところだと思うんですね。例えば、クロスカントリースキーは板に塗るワックスの加減が重要です。気温や湿度に適したものでなければいけませんが、ウェザーニュースさんから天候データを適時提供してもらうなど海外の選手がやっていない戦略でした。
また、できるだけロスが少ないよう滑るため、僕はその靴の裏に1ミリくらいのプレートを入れていました。それも国立スポーツ科学センターの方とどうやったらよりパフォーマンスが上がるかを考える中での発想の一つでした。トレーニングなどサポート頂ける環境の変化もあって良い結果につながった大会だったと思います。
■食生活で意識してきたこと
――食生活で意識が変わったタイミング
高校生までは家族が作ってくれたものを食べていましたが、大学に入って一人暮らしをするようになって、自分が食べるものは自分で管理しないといけない状況から自炊を中心に生活していました。そのおかげで食事はできるだけバランスよいものをという意識も生まれましたね。
――長くアスリートを続けられるうえで食生活での変化や取り組まれてきたことはどのようなことでしょうか。
競技生活を長く続けてくる中で変化した部分はあります。若いときはお肉中心というか、タンパク質を取らないといけないと考えていました。ご飯と味噌汁とメイン一品みたいな形が多かったのですが、やはり緑黄色野菜やきのこなども交えてバランスのとれた食事を心がけないといけないことを学びつつ、メインも肉だけでなく魚をとるようにもなっていきました。
ただ、日々の生活と大会のとき、特に海外に出たときでは食事の環境が変わってきます。日本では和食中心のヘルシーな食事を好んで食べるのですが、海外はビュッフェスタイルだったり、お米ではなくパン中心なってくると、少し体調を崩しがちになることや日本にいるときと同じ食事量でコントロールしていても体重が増えてしまうことがありました。
また自分の体質を知るために遺伝子検査をしたことで、日本の発酵食品の重要性や食物繊維が腸内環境、便通に効果があることと改めて実感しました。基本的には現地の食事をとりつつ、自分でできる取り組みとしてサラダにワカメを足すなどの工夫をしています。
ソチパラリンピックでメダルを取れずに帰国したとき、出迎えてくれた長男が成田空港で手づくりの金メダルを渡してくれたんです。小さいながら、何かを感じて頑張ってほしいなって思ってくれているんだなと思って、そこからもう一度頑張ろうと思いました。
今までは両親や祖父母のためにという思いがありましたが、子どもたちや妻のためにと切り替わったと思います。
――続く平昌パラリンピックで8年ぶりに金メダルを獲得しました。
2013年に東京でのオリンピック、パラリンピック開催が決まって、2014年度からに、パラリンピックはそれまで厚生労働省管轄だったのですが、文部科学省に移管されました。
国立スポーツ科学センターをパラの選手も使用できることになって、トレーニングをしっかりやれる環境が整いました。また冬季競技にもフォーカスをあててみようということで僕に白羽の矢が立って、栄養とか運動も科学的にやりましょう、という流れができたところでの平昌でした。
僕が考える日本人の強さというのは工夫するところやちょっとした感性の違いを具現化できるところだと思うんですね。例えば、クロスカントリースキーは板に塗るワックスの加減が重要です。気温や湿度に適したものでなければいけませんが、ウェザーニュースさんから天候データを適時提供してもらうなど海外の選手がやっていない戦略でした。
また、できるだけロスが少ないよう滑るため、僕はその靴の裏に1ミリくらいのプレートを入れていました。それも国立スポーツ科学センターの方とどうやったらよりパフォーマンスが上がるかを考える中での発想の一つでした。トレーニングなどサポート頂ける環境の変化もあって良い結果につながった大会だったと思います。
■食生活で意識してきたこと
――食生活で意識が変わったタイミング
高校生までは家族が作ってくれたものを食べていましたが、大学に入って一人暮らしをするようになって、自分が食べるものは自分で管理しないといけない状況から自炊を中心に生活していました。そのおかげで食事はできるだけバランスよいものをという意識も生まれましたね。
――長くアスリートを続けられるうえで食生活での変化や取り組まれてきたことはどのようなことでしょうか。
競技生活を長く続けてくる中で変化した部分はあります。若いときはお肉中心というか、タンパク質を取らないといけないと考えていました。ご飯と味噌汁とメイン一品みたいな形が多かったのですが、やはり緑黄色野菜やきのこなども交えてバランスのとれた食事を心がけないといけないことを学びつつ、メインも肉だけでなく魚をとるようにもなっていきました。
ただ、日々の生活と大会のとき、特に海外に出たときでは食事の環境が変わってきます。日本では和食中心のヘルシーな食事を好んで食べるのですが、海外はビュッフェスタイルだったり、お米ではなくパン中心なってくると、少し体調を崩しがちになることや日本にいるときと同じ食事量でコントロールしていても体重が増えてしまうことがありました。
また自分の体質を知るために遺伝子検査をしたことで、日本の発酵食品の重要性や食物繊維が腸内環境、便通に効果があることと改めて実感しました。基本的には現地の食事をとりつつ、自分でできる取り組みとしてサラダにワカメを足すなどの工夫をしています。