世界が相手にしたからこそ、常に勝ち続けるというわけにはいかなかった。勝ったとしても判定が多く、地味で分かりにくいという批判もあった。2001年のJAPAN GPでは、武蔵に勝ったことでニコラス・ペタス(デンマーク)が大喝采を浴びている。
今よりも遥かに格闘技の見方、そして評価のされ方が狭い時代だった。武蔵自身も自分流を貫けばよかったのだが、会見など公の場では「倒して勝ちたい」とコメントしなくてはいけないところもあった。ゆえにどうしてもチグハグな存在になってしまったのだ。
筆者はそんな武蔵について「全試合、判定30-29で勝つのが理想」と評したことがある。日本人でも海外の猛者でも、誰が相手であろうと僅差の攻防に持ち込み、ポイントで少しだけ上回る。そういう勝ち方こそ彼の持ち味ではなかったか。
そうした“武蔵流”は、ワールドGP準優勝2回という結果でようやく認められた感がある。手痛い敗北も多かったが、地上波で中継されていたK-1では、彼は“日本代表”として無理を押してでもリングに上がる必要があった。ボブ・サップ(アメリカ)とも曙とも闘い、プロレスラーを迎え撃ち、リスクのある日本人対決からも逃げなかった。派手にぶっ倒されることもあったが、僅差の負けも少なくない。
現代は階級がしっかりと分けられ、体重差が格闘技にとってどれだけ大きなものかが浸透した。だからこそ、武蔵の苦労も実績も伝わりやすいはずだ。
取材・文●橋本宗洋
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