■トヨタ自動車に入社して取り組みに変化
──トヨタ自動車に入社して、マラソンに本格参戦することになりました。どんな取り組みをされたんですか?
1年目は佐藤(敏信/現・総監督)さんに、「ゆっくりでいいから120分とか150分とか、長い時間を走るように」とよく言われていたんです。でも、僕は時間を意識して走ることが苦手だったので、素直に練習に取り組めなかった部分がありました。
レースでも結果が出なくて、2年目には大きな故障をしてしまいました。それをきっかけに自分のやり方に固執せず、佐藤さんの言葉にきちん向き合って信じて練習をやり始めたら、課題だった終盤の失速がなくなってきたんです。
──2018年12月の福岡国際マラソンは2時間7分27秒の自己ベストで優勝しました。振り返って、どのように感じていますか?
過去3回のマラソンは終盤の失速が課題でしたが、練習の成果もあって終盤の走りを自分の長所にできるようになったレースだと思います。この優勝があって自分の走り方に自信がついて、それがMGCにもつながりました。
──日本中の注目を浴びた2019年9月のMGC(マラソングランドチャンピオンシップ)で2位に入り、東京五輪代表をゲットしました。
僕の中でMGCは人生をかけて臨んだレースでした。だからこそ代表が内定したときは本当にうれしかったですね。でも東京五輪に出れると決まったからには、MGC以上の取り組みをやらなきゃいけない。本番に向けて相当な集中力が必要になってくるなとも感じていました。
■東京五輪代表の喜びと重圧
──東京五輪はコロナ禍で1年延期して、マラソンコースも札幌に移転しました。穏やかではない日々が続いたと思います。
代表に内定して、レースまで約2年間ありました。ずっとコンディションを保たなければいけないという思いがすごく強かったんですけど、本番が近づくにつれて調子がどんどん落ちていってしまいました。周囲のケガや故障のニュースにも敏感になっていて、ネガティブな思考に陥っていたのかなと思います。
──夢だったオリンピックのスタートラインに立ったときは、どんなお気持ちだったんですか?
ようやく終わるんだな、と。スタートラインに立てた喜びと、やっと解放されるんだという思いがありました。すごく清々しい思いだった記憶があります。
──ただ本番は「重い熱中症」に陥り、厳しいレースになりました。振り返っていかがですか?
レース中は本当に何度も何度もやめたいと思いました。それでも最後まで走り切れたのは、自分自身が本気で目指してきた舞台だったからです。
終わってから、「途中棄権で良かったんじゃないか」と多くの方に言っていただきました。散々な結果ではありましたが、僕自身は記録として残せて良かったと思っています。
──トヨタ自動車に入社して、マラソンに本格参戦することになりました。どんな取り組みをされたんですか?
1年目は佐藤(敏信/現・総監督)さんに、「ゆっくりでいいから120分とか150分とか、長い時間を走るように」とよく言われていたんです。でも、僕は時間を意識して走ることが苦手だったので、素直に練習に取り組めなかった部分がありました。
レースでも結果が出なくて、2年目には大きな故障をしてしまいました。それをきっかけに自分のやり方に固執せず、佐藤さんの言葉にきちん向き合って信じて練習をやり始めたら、課題だった終盤の失速がなくなってきたんです。
──2018年12月の福岡国際マラソンは2時間7分27秒の自己ベストで優勝しました。振り返って、どのように感じていますか?
過去3回のマラソンは終盤の失速が課題でしたが、練習の成果もあって終盤の走りを自分の長所にできるようになったレースだと思います。この優勝があって自分の走り方に自信がついて、それがMGCにもつながりました。
──日本中の注目を浴びた2019年9月のMGC(マラソングランドチャンピオンシップ)で2位に入り、東京五輪代表をゲットしました。
僕の中でMGCは人生をかけて臨んだレースでした。だからこそ代表が内定したときは本当にうれしかったですね。でも東京五輪に出れると決まったからには、MGC以上の取り組みをやらなきゃいけない。本番に向けて相当な集中力が必要になってくるなとも感じていました。
■東京五輪代表の喜びと重圧
──東京五輪はコロナ禍で1年延期して、マラソンコースも札幌に移転しました。穏やかではない日々が続いたと思います。
代表に内定して、レースまで約2年間ありました。ずっとコンディションを保たなければいけないという思いがすごく強かったんですけど、本番が近づくにつれて調子がどんどん落ちていってしまいました。周囲のケガや故障のニュースにも敏感になっていて、ネガティブな思考に陥っていたのかなと思います。
──夢だったオリンピックのスタートラインに立ったときは、どんなお気持ちだったんですか?
ようやく終わるんだな、と。スタートラインに立てた喜びと、やっと解放されるんだという思いがありました。すごく清々しい思いだった記憶があります。
──ただ本番は「重い熱中症」に陥り、厳しいレースになりました。振り返っていかがですか?
レース中は本当に何度も何度もやめたいと思いました。それでも最後まで走り切れたのは、自分自身が本気で目指してきた舞台だったからです。
終わってから、「途中棄権で良かったんじゃないか」と多くの方に言っていただきました。散々な結果ではありましたが、僕自身は記録として残せて良かったと思っています。